気候変動

日本のグリーン成長戦略

思い返せば、2013年に安倍内閣がアベノミクスとして打ち立てた成長戦略「日本再興戦略−Japan is Back」の91ページ目に、「スチュワードシップ・コードを年内に策定する」とちらっと書いてあったのが、ガバナンス改革のはじまりだった。英国のスチュワードシップ・コードをコピペした日本版スチュワードシップ・コードに、公的年金や生損保までがよってたかって署名した。その後、生保が政策保有株を処分したという話はきかないが。

12月25日に日本政府は「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を公表した。経産省が他の省庁と連携して策定したものだ。さすがは経産省、ページ数こそ77ページとアベノミクス再興戦略からするとやや少なめだが、菅首相が所信表明で2050ネットゼロを宣言してから2ヶ月後には、2050ネットゼロにむけた工程表をまとめあげた。横断的政策ツールという部分は割りとあっさりしているが、14あるという重点分野におけるタイムラインに沿った詳細な「実行計画」が掲げられている。

ESG投資業界に関連しそうなところといえば、アベノミクス日本再興戦略 Japan is Back! のときは、たった1ページのそれも数行のみだったが、今回は全ページ関係する。しかも、全てが気候変動なのだ。ESG投資の資金を呼び込むとまで書いてある。ただし、この部分はあまりにもawkward(気まずい)だ。

ESGやSDGsには飛びついても、日本企業も日本の機関投資家も、気候変動に意図的に無関心なのは徹底している。例えば、社長自らがESG経営を叫ぶ花王の「ESG経営戦略」に、気候変動への対応や脱炭素は一言も出てこない(昨年時点。)クローズアップ現代でパーム油の問題を取り上げたときもパーム油の原料であるアブラヤシのプランテーションの労働者の人権問題としていた。グローバルでは、プランテーション開発のための熱帯雨林の森林伐採(Deforestation)が中心問題となっており、それはすなわち地球温暖化を悪化させる気候変動問題と捉えられている。ESG投資入門セミナーでは、いつも「ESG問題のサステナビリティ(E&S)部分の8割は気候変動問題だと思ってもらっていい」とお経のように唱えているが、ようやく日本でもグローバルと平仄があうことになるという期待が高まる。菅首相もグローバルから遅れをとってはいけないという理由で2050ネットゼロ宣言に踏み切ったようだから、ようやく気候変動が日本でもメインテーマになる。

そもそも「戦略」になっていなかった

経産省が他の省庁と連携して策定したとする今回のグリーン成長戦略だが、いつもの日本政府(官僚)のお仕事の作品という感じがする。経産省をメインとして、農林水産省や国土交通省などが所管分野のグリーンつまり脱炭素に関連する産業政策の青写真を持ち寄った総花感が強い。結局のところ、アベノミクスでも、3.11復興でも、女性活躍でも、グリーンでも、お題が変わっただけで、各省庁から所管分野への応援政策の数々を「取りまとめた」ものが作られる。

ところで、話は逸れてしまうが、お役所のパワポスライドはどうしてかのようにナイーブなのか不思議に思っている。フォントはゴシック系のカジュアルなものが好まれるようで、強調したいときは大きくしたり太字にしたり、赤字にしたり、下線ときに波線など、どれを選ぶかは作者の自由のようだ。印刷可能範囲を超えてめちゃくちゃ書き込んであり、角を落とした四角枠で所狭しと括ってあって、吹き出しも多様されている。お役所文章は平仄の塊だと認識しているのだが、パワポになると途端にフォーマル感を放棄してしまうのはなぜだろう。

話を元に戻すと、「取りまとめた」グリーン成長戦略には、「戦略」、つまりグランドデザインがない。2050年までに脱炭素という目標に対して、達成のための方針が示されていない。日本経済全体で炭素の収支を考え、脱炭素で最適化するというマクロ経済の話が示されていないのだ。

14の重点分野、グリーン成長つまり都合よく脱炭素で成長できそうな分野で、「高い目標を設定し、あらゆる政策を総動員」するという、北朝鮮、いや日本政府が大好きな「総動員」フレーズをみると、またかと思ってしまう。経済学では合成の誤謬はよく知られている。また、経済学の前提である資源の希少性も、総動員政策は考慮していない。つまり、希少な資源の優先順位もつけず、省庁の所管分野で産業政策や補助金行政を展開しても、その積み上げで、脱炭素成長が実現するとは思えない。

2050ネットゼロ目標とは

大気中平均気温の安定化あるいは大気中二酸化炭素濃度の400ppm近辺での安定化を目指すパリ合意に一致する。地球全体で産業革命以降(1900年)から今までの二酸化炭素の全排出量が推計され、この累計排出量で大気中CO2濃度上昇は説明でき、濃度上昇は平均気温の0.8℃程度の上昇をもたらしたと考えられている。2050ネットゼロが達成された場合、今までの累計排出量に、今から2050年までの総排出量を足した1900年から2050年までの人類CO2総排出量が決まり、以降ゼロ排出なので、大気中CO2濃度は2050年以降は安定化する。この安定化した大気中CO2濃度によって、1900年からの上昇分が平均気温の1.5℃〜2℃の上昇をもたらすが、2050年以降はそこで安定化する。気候変動の専門家の方からは、いろいろご批判はあると思うが、以上がとてもざっくり2050ネットゼロ目標の解説だ。

産業革命以降のCO2排出は、化石燃料の燃焼エネルギーを動力や電力に変換して利用していることから生じる。したがって、燃焼以外のエネルギーを変換して利用できれば、脱炭素は可能だろう。良いニュースとしては、エネルギー自体は地球上にふんだんに存在するし、変換することもできるらしい。お天道様とか重力とか尽きることのないエネルギー供給があるから。一方で、化石燃料エネルギーによる発電や内燃機による移動は、石油本位主義とか石油資本主義と呼ばれてきたくらい、現在の経済活動の根幹である。化石燃料エネルギーの利用をやめられない場合は、脱炭素には、排出CO2を回収貯留することになる。したがって、2050年時点のエネルギーミックスの到達点を決めることが、脱炭素のためのグランドデザインに欠かせない。化石燃料を完全に卒業する計画ならば、化石燃料以外から、電力、動力を得なければならないし、化石燃料を直接燃焼させる製造工程も放棄しないといけない。化石燃料を燃やす場合は、完全な回収貯留が2050年に実現していなければならない。逆に回収貯留できるのであれば、化石燃料を燃やす余地はあるということになる。

2050年のエネルギーミックス

経産省(2020)2050カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略より

2050年時点の目標そこへの到達経路、つまりAs is (現状)とTo be(目標)、経路が描かれていれば、おのずと必要な技術が見え、企業はどこにR&Dを向けていくべきなのかがはっきりする。そして、日本の脱炭素技術が、グローバルの脱炭素を進展させるとき日本の競争優位つまりグリーン成長が可能になると考える。
しかし、「脱炭素にはオール電化」などと意味不明なことがグリーン成長戦略に書いてある。EVのために電力消費が増加するとあるが、増やしてどうする。部門別に脱炭素を考えていくべきであって、電力の脱炭素が最優先になるのは、37%を占めており、化石燃料に依存して脱炭素が困難だからだ。電力のエネルギー源に化石燃料を残すならば、効率のよい内燃機(エンジン)で燃焼させた方が、化石燃料由来の電力でモーターを動かすよりよっぽど効率的で、回収貯留するCO2も少なくてすむはずだ。それは水素にもいえることで、水素自体が他のエネルギーを利用して作成されるため、水素はエネルギーの運び屋として使えるにすぎない。しかも、水素は常態では安定しないので、かなり手間のかかる運び屋だ。運ばせるだけにあれやこれやとエネルギーを必要とする。化石燃料が残る場合も、完全にクリーンエネルギー計画の場合も、その電力や動力を直接使った方が、水素を介するより効率的だ。ということで、2050年時点のエネルギーミックスが電化をすすめて電力使用量を増加させる、つまりエネルギー不効率にするというのはありえないと思うのだ。

脱炭素のキーテクノロジー

グリーン成長戦略は、経済ボロボロにしてでも、なにがなんでも脱炭素ではなく、グリーンで経済成長という新しい考え方とされている。しかし、1991年のリオの地球サミット以来、Sustainable Development(持続的な開発)は、一貫して温暖化防止と経済成長を両立させることを目論んでいる。グリーン成長は、両者がトレードオフではなく、両立するむしろwin-winの関係になると主張する。そこで、グリーン成長に鍵となる日本企業に期待できるテクノロジーを重点分野から考えてみた。

パリ合意の総排出量コントロールの話でいけば、実際にグローバルで2050ネットゼロが実現したとしても、2021年から2049年までの排出量でいわゆるカーボンバジェットをオーバーしてしまうようなのだ。つまり1.5℃〜2℃以上に温暖化してしまう。2℃〜3℃くらいはいってしまう。つまり、2050年以降ネットマイナスにして、累計総排出量を下げないといけない。大気中からCO2をネットで回収しないといけないなどと予想されていることからして、回収貯留技術(CCS)は必要不可欠になると考えられる。

再生可能エネルギーで50%〜60%賄うとあるが、再生可能エネルギーの利用には蓄電技術が必要だ。再エネの蓄電とは別に、EVの電池も課題だ。テスラはリチウム電池のみでやってくつもりみたいだけど、都市部でのEVの普及には、次世代電池が必要なんではと思う。それに、電気トラックは今のリチウム電池では無理だ。

脱炭素には避けて通れない原発だけど、国内の嫌原発に配慮して、うやむやな記載になっている。この際、炎上させてでも表に出してきっちり議論すべきだと思う。もっとも、日本政府も社会もとても不得意なことだけど。原発に対する政策も、グランドデザインの議論でされるべきだ。2050年時点では、既存の原発の多くは定年を迎えており、新規に建造しない限り原発による出力は見込めない。2050年時点で原発由来の電力を期待するのであれば、新規原発製造となるがこのときは、安全性が高く見た目もごつくない小型原子炉が選択されるだろう。一方、2050年卒原発も、もちろんそれも選択肢の一つだと思う。前述したようにエネルギー自体は枯渇することがない。化石燃料依存率は高まるかもしれないが、いずれどのような形にエネルギーミックスが進化していくかは、これからどこに投資が向かうかにもよる。

2050ネットゼロ宣言後のエネルギー基本計画に注目しよう

菅首相の所信表明演説での2050ネットゼロ宣言も、一応FTの記事にはなっていたが、割りと海外メディアは地味だった。直前に中国の習近平国家主席が国連総会のビデオ演説で2060ネットゼロを宣言したので、ちょっとかぶってしまった感もある。どちらも今までの目標からかなり飛躍があるのだが、方法論は示していないことから、気候変動NPOsも期待感を高めつつも本気度を疑う部分があるようだ。欧米からすれば、アジアとりわけ極東アジアには理解不能なダブルスタンダード(二枚舌)が存在する。もちろん表向きにはそのようなものは存在しないのだが(これもダブルスタンダード)。本気なのかリップサービスなのか見極めにくい。

それでも、2050ネットゼロで、どこまで日本政府がガチでくるのか、つまり株式市場において、いや我が国の経済にとって、いよいよ気候変動がSubstantialになるのか、チェックしておいた方がいいだろう。

そこで、ここでは今までの日本の気候変動戦略をおさらいしておこう。まず、「2050ネットゼロを宣言致します!」と菅首相は力強く宣言されていたが、パリ合意は2020年1月より約束期間に入っており、パリ合意(目標、気温上昇を2℃以下、できれば1.5℃)の下の我が国のGHG削減自主目標(Nationally Determined Contribution、NDC)は、2030年に▲26%(2013年比)というものだ。

EUは2030年に▲40%(1990年比)で、2013年比にすると▲24%、米国は2025年に▲26〜28%(2005年比)で2013年比にすると▲18〜21%である。比較年がバラバラなのは、それぞれ数字をよくするための戦略だが、Apple to appleでみると、日本のNDCがことさら低いわけではなかった。

ちなみに2050ネットゼロは、1.5℃対応の最も急進的なGHG削減経路であり、もちろん現在の2030年▲26%目標は、おそらく▲50%以上にしないと間に合わない。2050ネットゼロは、2100年までまったり削減していけばいいやというモードを払拭して、手前の20年くらいでがっつり削減して、貯金をつくるという目論見なのだ。もっとも「ネット」という言い方がやや気になるが。

この我が国のNDC達成は、経産省によれば、省エネによる需要低減(17%)とエネルギーミックスの変更による。2018年のエネルギー基本計画では、2030年のエネルギーミックスは再エネ23%、原子力21%、天然ガス27%、石炭26%、石油3%というもので、石炭をベース電源と位置付けていた。

このエネルギー基本計画が安倍内閣で閣議決定したときは、ESG投資業界では石炭ダイベストメント運動が燃え上がっており、石炭採掘関連企業の不投資を表明する米国大学のエンダウメントがあったり、ノルウェー年金が石炭火力発電もネガティブリストに加えたり(日本の電力会社もリスト入り)、化石燃料から決別する次社会では油田や炭田が座礁資産(Stranded Assets)だとする議論が盛り上がっていた。

大震災以降の状況や日本の再エネリソースの状況を鑑みれば、このエネルギーミックスは現実的な選択から引き出されていると思われるが、グローバルトレンドのDirty Coal運動からみると日本の石炭をベース電源とするエネルギー戦略はKYすぎるものだった。

さらに、経産省は石炭火力発電プラントを戦略的輸出商品と位置付けており、国策会社として三菱重工も風力の羽は造らないが、石炭火力は残すといっていた。エネルギー基本計画と経産省の産業政策から石炭を抜くのは難しいのだ。

しかし、グローバルでは石炭への非難はエスカレートしていく。コロナパンデミック前の2019年のCOP25はパリ合意発効直前のCOPとして、パリ合意のルール作りを目指して開かれた。そして、ルール作りには失敗した。COPデビューの小泉環境相は脱石炭のコミットメントを目指したが、自民党はOKしなかった。しかし、彼はグローバルの脱石炭の風圧を持って帰り、海外から猛批判の石炭火力発電所の輸出のハードルをあげ、事実上輸出しないようにしたり、国内の非効率石炭火力のフェードアウトなどが打ち出された。

とはいえ、石炭をベース電源と位置付けているエネルギー基本計画との整合性はどうなの、というツッコミは残る。混焼や石炭ガス化複合発電など高効率を理由に石炭火力発電を残していくのか、つまりグローバルでは脱石炭といいつつ、ベース電源石炭は変えずにいくダブルスタンダードでいくのか、CO2回収・貯留技術(CCS)を開発して真なるCO2フリー石炭を実現するのか、それとも脱石炭、石炭は諦めて、別のベース電源を探すのか、政府の方針がはっきりしない。

そして、菅政権発足してすぐに、梶山経産相は再エネの主力電源化を表明、経産省はエネルギー基本計画の見直しに着手したと報道されたが、翌日には、いきなり所信表明演説で2050ネットゼロ宣言をする見通しとなった。これは、日本固有のやり方であるボトムアップ積み上げ方式ではラチが開かないとみて、トップダウンアプローチとして菅首相のリーダーシップなのか、あるいはビジネスコンサルで流行っているバックキャスティング方式を採用したのか。2050ネットゼロを可能とする2050年時点のエネルギーミックスはどのようなものか、そこに到る途中経路の2030年時点ではどのようなものか、今度のエネルギー基本計画で方法論がわかると期待したい。

またいつもの通り、有識者会議で検討されるのだろうが、我が国の2050ネットゼロへの道は容易くはない。再生可能エネルギーの主力電源化やCCSは、技術的なブレークスルーが必要だが、民間経済の開発投資では難しい。どのイノベーションに賭けるか、開発投資をどこに向けるのか、まあ、つまりは補助金をどこに投下するのか選択することが必要だし、逃れられないのが原子力発電の再稼働、新設の議論だろう。2050年からのバックキャスティングならば、2050年ネットゼロ時点で、原発は永続的な電源なのか、あるいは既存原子炉の寿命と共にフェードアウトして、原発から卒業するのか、決めておかないといけない。これら国民を「分断」しそうな議論を「有識者会議」を経て、近いうちにくるであろう国政選挙のテーマとして正面から国民に問いかけてもらいたいものだ。

スガメートチェンジ

菅首相は初の所信表明演説にて、「ここに2050ネットゼロを宣言する」と2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標を打ち立てたことを表明された。既に、数日前から日経新聞の速報が流れていたし、サポートとも批判ともつかない記事を連発していたので、すでに新鮮味は薄れていたが、一応感想を述べておくと、割と唐突な感じ、それはデジャブでもある。

そう、安倍政権はガバナンス改革を三本目の矢にしたが、日本復興戦略に「年末までにスチュワードシップ・コード策定の目処をつける」とあったのだ。前後になんの経緯も背景も説明はなく、割と唐突にスチュワードシップ・コードだけがでてきた。スチュワードシップ・コードはコーポレートガバナンス・コードのスピンオフだ。どうして、スチュワードシップ・コードなんかなと不思議な感はあった。(翌年にはコーポレートガバナンス・コードを作った)

今回も、経緯や背景の説明はなく、なぜこの目標を今、所信表明演説にて宣言する必要があるのか、なぜ2050年なのか、とかネットゼロとか実質ゼロってどういう意味なのか?とか、一番肝心のどうやって達成するのか?方法論とか、経済や国民生活への影響は?この目標を達成した暁には何がやってくるのか?とかいう部分は端折ってあった。

そこで、余計なお世話かもしれないが、ここでちょっとだけ補足説明しておこう。現在、全世界の国々は、気候変動枠組条約を批准しており、気候変動を緩和しつつ経済成長を目指すことで合意している。気候変動の緩和と経済成長を両立させることを、Sustainable Developmentと呼んでいる。(ほらどこかで聞いたことがあるでしょう)2018年、世界は気候変動の緩和について具体的に1900年以来の気温上昇を2℃以下に抑える(2100年あたりで安定化)という目標についてパリで合意した。(パリ合意、Paris Accord)

これに基づいて、各国は削減目標をたてているが、京都議定書のときと違って自主目標(NDC, Nationally Determined Contrbution)だ。日本は2018年のエネルギー基本計画とたぶん整合性があると思われる2030年▲26%削減(2013年比)を公表している。

2100年時点で2℃の上昇で安定化するためのスケジュールとしては、ざっくり現在は経済成長とともに増加している温室効果ガス排出を、2050年までにピークアウトし、そこから削減へとすすめて、2100年ごろには排出ゼロというイメージだ。

ところが、パリ合意をよくみると、2℃以下じゃなくて、2℃よりずっと下でできれば1.5℃にせよとある。今では、2℃じゃ生態系などは守れない、1.5℃に目標引き上げというのがグローバルのトレンドとなっている。この1.5℃目標達成のスケジュールは、2℃よりもっとタイトになり、2030年までにとっくにピークアウト、2050年までにゼロ排出、その後ネガティブ排出(つまり温室効果ガスの大気中からの回収)くらいやらないと達成できない。

ここから、2050年ゼロ排出目標が出てきた。いつ「実質」がつくようになったのかはわからないが。ということで、菅首相の2050ネットゼロ宣言は、日本も1.5℃目標派にジョインしたということなのだ。とはいえ、国レベルで2050ネットゼロを決めているのはEUだが、日本が追従してくるとは結構サプライズなのではないだろうか。

通常、気候変動のシーズンは秋で、国連の気候サミットが開かれたり、11月末から12月にかけて本チャンのCOPが開催されるのだが、今年はコロナで延期となっている。それでも、国連総会で中国が2060年ごろネットゼロを宣言したり、カリフォルニア州が2030年以降のガソリン車の販売を止めるといったり、いろいろ気候変動関連のニュースが賑わっている。なので、この時期の所信表明演説は、気候変動シーズン中なのだ。

(つづく)

気候変動関連のメモ(2020年1月)

ブログを更新できない間に第2次気候変動ブーム(勝手なネーミングだけど)が到来したようだ。
日本のメディアを追っかけても何かモヤモヤとよくわからない感は強いと思うので、ワイドーショーコメンテーターのような解説を少ししておこうと思う。

スウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥーンベリってなんで突然有名になったの?
気候変動業界の拠り所となっているパリ合意は、いよいよ2020年から約束期間がスタートする予定だが、肝心のパリ合意6条の実施要項が決まっていない。6条とは京都メカニズムのような、直接CO2削減ではない、つまり「実質」ゼロの「実質」部分のカウント方法を指す。いつも正しい欧州諸国は直接CO2排出をきっちり削減していく王道を主張しており、6条のいわゆる柔軟措置、森林で吸収とか炭素クレジット貯金とか、向こうの国で減らした分もカウントするとか、そういうことには後ろ向きである。一方、パリ合意から削減に組み入れられた新興国や途上国、化石燃料周りで食っている資源国にとっては、間接的な削減に関心がある。まあどこの国も自国にフェイバーなルールブックを志向するのは当然のことだ。

さらに、パリ合意ではできれば1.5℃を目指すと書かれていたが、どうやら最近、2100年時点の平均気温上昇という最終目標は2℃から1.5℃へとハードルがあがったようで、1.5℃ディフェクトスタンダード化がすすんでいる。そうなると現状の各国の2030年目標じゃ全然足りな〜いということで、目標引き上げ要請も出さないといけない。今でもNDC(各国の自主目標)全部達成しても全体目標の2050年のピークアウトもおぼつかないらしい(まあ理由は明白ではあるが→世界の温室効果ガス排出国別円グラフを眺めてみよう)

というわけで、国連としては、2020年まで最後のCOPである、2019年のCOP25でなんとしても成果を出したい。そこで、COP25開催直前にNYで気候変動行動サミットを開いた。国連は過去にも2007年、2014年と要所に気候変動サミットを開催しているが、今回は「行動(アクション)」の文字を入れて、COP25の合意に強い期待を示した。

この盛り上げイベントである気候変動行動サミットの目玉として登場し、大いに気合をいれてくれたのが若き気候変動アクティビストのグレタだ。他にも気候変動アクティビストは多くいるが、グレタが素晴らしいのはピュアなTrue Believerであるところだ。16歳の少女は、真剣に自分達が生きる時代の温暖化Turmoilを恐れている。ミレニアル世代は、サステナビリティに関心が高く、クライアントとしてESG投資のキードライバーであると考えられている。国連はミレニアルどころかもっと若いゼット世代に気候変動アクティビズムの担い手として着目したようだ。ティーンエイジャーのアクティビズムについては、演出したオトナがいるだろうとか、まあいろいろ批判はあるだろうけど、グレタのインパクトは国連も驚くほどだったんじゃないかな。大成功。日本でも折しも台風や災害も多くみんな温暖化の影響ではないかと、ヒシヒシ感じていたときだったから、気候変動の切迫感がスンナリ受け入れられたのかもしれない。(第1次気候変動ブームの2007年も結構暑い夏だったよね)

ちょっと注意しておくべき点は、子ども(マイナー)の主張は、大人のそれとは違うということだ。子どもの人権とは、健やかに生きる権利で大人にそれを求めることができる。She has a right to ask to make her feel better.なんたって子どもは護られなければならない。このあたりは、民主主義では基本了解済事項なので、これを踏まえて大人は発言した方がいい。グレタが「ちゃんとやってよ」と大人にいうのは、子どもの人権上しごく当然なことなわけで、そもそも最初からグレタ批判に勝ち目はない。なので、この点からすると、トランプ大統領の茶化しより、進次郎大臣の「大人を批判してもはじまらない」コメントの方が痛いと思う。

COP25の結果に国連総長はがっかり
大人気のグレタはヨットでCOP25にも駆けつけ、睨みをきかせたし、環境大臣が人気の高い小泉進次郎氏ということもあって日本のメディアもかつてないほどCOPのカバーをした。メディアが、いつもの通りちょっと残念なのは、COP25(UNFCCCという条約下の第25回締約国会議)という正式な国際会議と、その開催期間中に合わせて様々な団体が開くサイドイベントが区別されていないことだ。前者は気候変動政策が決まる国際政治の場であり、後者は気候変動アドボカシーである。

COP25の一番の目標は、2020年から実施されるパリ合意のルールブックの合意だ。何やら、進次郎環境大臣が石炭火力発電からの撤退を表明することが期待されており、それを表明しなかったことや、それに関してサイドイベントで「化石賞」が贈られたことが、日本ではやたら報道されていたが、そこじゃないんだよな。

テレビ朝日の報道ステーションのコメンテーターが、「進次郎大臣は、ここはがんばって、石炭火力撤退についてもっと踏み込んだ発言をすべきだった」といっていたが、そもそも、日本の温暖化政策やエネルギーミックスは閣議決定されている安倍内閣の政策なので、条約下の国際会議の場で日本政府をrepresentしている環境大臣が、勝手に踏み込んで政策変更を約束するのは違うだろう。それより、この石炭火力をベース電源とするエネルギー計画の妥当性、日本のNDC(自主削減目標)との整合性について、日本のおかれている状況も踏まえて語ってもよかったんじゃないかしら。説明できれば素晴らしいと思うし、進次郎大臣の脱石炭の個人的見解を強調するよりもベターではないかと。

2030年時点のベース電源に石炭火力を据えているくらいだから、日本は「化石賞」の常連だ。進次郎大臣が原因ではないよ。これはサイドイベントでNPO/NGOがやっている気候変動アドボカシーだから、フォーマルなCOP25の話し合いとは関係ないことなのね。先進国では日本とドイツが石炭火力の比率が高い。経済成長が著しいアジア諸国、それに中国も石炭発電比率を下げようと頑張っているが、それでも石炭がベース電源であることに変わりはない。昨年のCOP24はポーランドのカトヴィツェで開催されたが、ここは石炭の街で、石炭採掘企業がスポンサーになっていた。気候変動アドボカシーでは脱石炭が脱化石燃料のプロキシとして支持されているけど、パリ合意に脱石炭というのはない。

肝心のCOP25は、グレタさんの眼差しも怖かったのか、2日間延長して、なんとか合意を目指したが、合意には至らず、結局、会議ステートメントを出して終了した。この状況をCNNなど海外メディアはCompromisedと表現した。これは婉曲的に「失敗」という意味なんだけど、進次郎大臣は、「日本が(僕が)個別交渉でリーダーシップを発揮し、議長国のチリから感謝された」と胸を張っていた。うーん、失敗にリーダーシップを発揮されてもなあ。英語にしたら痛い感がすぐにわかるんだけど。この状況に、グレーテス国連事務総長は「がっかりだ」と失望を隠さなかった。

とはいえ、2020年はスタートした。COPの残された課題は
①「パリ合意6条(炭素吸収や炭素クレジットの枠組)の実施要項
②1.5℃対応でNDC見直し
③Green Climate Fund(途上国支援資金)

③はパリ合意の根幹のうちの1つだけど、日本で報じられることはほとんどない。途上国は当然これに最も興味がある。Green Climate Fundの一番の資金提供予定者だった米国は正式に脱退を表明し、手続きに入ると宣言した。ちなみに、2021年3月新大統領の就任の翌日が脱退日となっている。なので、万が一トランプ大統領が再選されなかった場合は、急遽脱退取り止めとなる可能性も残されている。

次回は、機関投資家はどう動いているのか、について

密林炎上

通販大手のアマゾンではなく、地球最大の密林アマゾンで森火事が多発しているニュースがメディアを賑わしている。
えーっと、火災ってことは森林破壊か、その場合はESGのどの項目だったっけとか、SDGsだと何番だっけチェック、ウチには関係なさそうだな、などとアタマを巡らした人は、典型的には日本企業のESGかCSRの担当者だろう
機関投資家も、アマゾン関連のイニシアチブはどこかな、とググったり、早速PRIが用意した”Institutional Investor Statement on Amazon forest fires”に、とりあえず手をあげておくか、というのは、極めてサラリーマン的な対応で、スチュワードシップ的でない。

んじゃ、コアのESG投資家は、どーなのよ、といえば、
「やっとニュースになって、世間の知るところとなったのはよかった」などと、つぶやいているかもしれない。あるいは、「なにを今更」とシニカルになっているかもしれない。
気候変動や環境保護、つまりサステナビリティの専門家であれば、アマゾンのことを考えない者はいない。現在の気候変動の国際的な枠組は1992年のリオデジャネイロで開催された地球サミットを起点としており、20年後の2012年にもSustainable Developmentに関する会議、リオ+20が再び開催されSustainable Development、持続的開発なるものを確認している。ということでアマゾンを擁するブラジルこそ気候変動とSustainable Developmentの聖地なのだ。(SDGsを語るときにはこれくらい知ってないと。2015年に突然できたわけじゃないのよ、SDには長い歴史があるのだよ)

アマゾンの問題は、”Sustainable Development”が本質的に可能なのかを突きつけているという気がする。Sustainable Developmentとは、環境保護(あるいは温暖化防止)と経済成長を両立させるということだ。しかし、アマゾンの現状は環境と経済がトレードオフになっているように思える。トレードオフの関係しか成り立たないのであれば、温暖化防止は誰かの経済成長(生活水準の向上)を犠牲にしなければ成り立たないということになって、Sustainable Developmentは達成できない、これは大変不都合だ。

浅薄な議論は多くみかけるが、上記の不都合に対する議論は、英語でいうとcomplicatedで難しい。アカデミックでいうと学際的(Interdisciplinary)なアプローチだろうし、経済学でいえばトリプルボトムラインをDSGMで解くみたいな感じ。まあ、一般均衡でなくても、経営学的アプローチでCSV的なSustainable Developmentのビジネス・ケースを示すことでも、慰めにはなるかもしれない。残念ながら、この問題を議論するには、筆者の情報収集能力も理解する知力も高くないので、当ブログのキャッチ、クール(明快)に説明することはあきらめて、ここでは、密林炎上と企業や機関投資家の関わりについて筆者が知っていることとその議論に対する評価を書き留めておく。

マクロン大統領は、
アマゾンの熱帯雨林はパリ合意を脅かす国際問題だとして、G7の議題にすべきだとしている。アマゾンの密林は地球上酸素の2割を光合成で放出しているらしい。地球の肺を燃やしてはけない。なるほど。パリ合意のガーディアンだしこれくらいは。今月パリであったPRIの年次総会にもビデオで出演して、アマゾン火災にも対応すると力を込めていた。

これに対して、ブラジルのトランプともいわれる、ボルソナロ大統領は、マクロン大統領の支援申出も政治的なものだと断った。ブラジルの国土のことをブラジルが入っていない先進国リーグのG7で話し合うって、植民地時代の発想だろ。なるほど。考えてもみろアマゾンは欧州全域より大きいんだぞ。火災の対応といっても、裏山とはわけが違う。物理的に可能かどうか。街中の教会の火事の消火もできないくせに。
なんか上手いなあ、雄弁。とはいえ、国際的な批判に配慮してか、一応ブラジル軍も出動させた。しかし、大統領も言っているように、対処するにはアマゾンは大きすぎる。自然鎮火を待つしかないのが現状のようだ。まあ、これ以上周辺農家に火付けをやらせないようにするのは効果がありそうだけど。

PRIの緊急ステートメントは、
機関投資家は投資先企業に対してサプライチェーンに森林伐採が紛れ込んでないかしっかりチェックするよう求める、というものだ。ま、簡単だな。森林伐採反対。森林伐採はいけません、やめましょう。

という風にいかないのは、アマゾンで火をつけているのは地場の農民で、その多くは生産性もあまり高くなく貧しいからだ。いけませんって言ったって、向こうは食うために必死なんだし、やり得とあらば火を付ける。アマゾンの価値の多くは経済外部性があるので、フリーライダーを生む。まあ、不買運動のごとく、森林伐採している企業からソーシングするな〜とかそんな農家から仕入れているブラジルの食品会社はけしからん、ということで、北風政策で向かっても、あまり効果はなさそうだし、各社サプライチェーンを清く正しく美しくしても、アマゾン周辺の農家の状況は酷いままだし、彼らはそもそもサプライチェーンに乗っていない。

気候変動に対応するための土地利用(議論?)
をを考えていかなければならない。森林を伐採して、(メタンガスのゲップをしまくる)牛の放牧や(バイオマスとして薄すぎる)ダイス畑にするなんて、サステナビリティに逆行すること甚だしい。パリのPRI年次総会でも、「牛やダイズにさようなら」メッセージを見かけた。英国に、牛畜産はサステナビリティに反するとして、食堂からビーフメニューをやめた大学がある。

しかし、英国の食卓からステーキを除いたら何が残るというのだろう。(フレンチなら問題なさそうだけど)ダイズでいえば、ブラジルのダイズ生産は2000年代に増え、今では米国を抜いているのだ(OMG)。不毛の地だったセラード(アマゾンにある酸性土の灌木草原地帯)でダイズを生産が拡大したことからだ。このブラジルの奇跡に一役買ったのは、なんといっても圧倒的なダイズ食文化を持つ日本だ(JICAでググってみるべし)。そして、ブラジルのダイズに頼っているのは食糧輸入大国となった中国だ。牛も飼うなダイズも作るなと簡単に言ってはいけない。

上でも書いたが、SDGs
SD、Sustainable Developmentには、開発と森林保護をトレードオフにしないという意味がこめられている。
耕作地や放牧地拡大のために実際に火を付けて回っていると考えられているアマゾン周辺の農家は、あまり生産性が高いとは言い難いレベルで、だから地面を広げてなんとかしようという風になってアマゾンの密林に侵食していくわけで、この人達の農業の生産性を上げることが、森林伐採をカーブ(緩やかにする)することにつながる。あるいは、森林保護に何らかの経済的なリワードがあるといったやり方で、住民の生活と森林保護を両立を考えていくのがSustainable Developmentなのである。(CSVの出番だよ)

開発論の分野では、住民の暮らし向きと自然保護の両立がテーマとなっている。日本の「里山」なんかも共生モデルとして注目されたこともある。ハードコアでいえば、我が母校が生んだ女性初のノーベル経済学賞を受賞したエレノア・オストロム先生は、共有資源(公共財)は、コミュニティが自主管理するとき最も効率的になることを、ゲーム理論で示した・・・らしい。しかし、アマゾンは里山モデルやオストロム先生のモデルを適用するには、やや巨大すぎるかもしれない。なんといってもブラジルの国土の半分を占め、欧州全域より大きいのだ。ただ、オストロム先生の業績は、Sustainable Developmentの可能性を示してくれたことだ。希望はある。ナロウかもしれないが道はあるということだ。プライシングできれば、アマゾン保護の機会費用をパリ合意諸国で負担するという方法がありそうだが、(罰則なし自主目標の)パリ合意より難しそうな気がする。

アマゾンの密林破壊
既にかなり深刻な状況のようだ。これは昨年のサンフランシスコのPRI年次総会であったセッションにブラジルのアマゾン研究の大学の先生が、17%が失われており、25%に達すると、ティッピング・ポイントを越え、生態系サイクルや気象などが変化してしまう可能性があるといっていた。ここでは、やはり森林が、フラットな牧草地や耕作地になることで、乾燥しやすくなり、温暖化に拍車がかかる、みたいな議論で、放牧やダイズ畑への開発を懸念していた。もちろん生態系も変化するだろう。アマゾンには古来の生活を守っている自給自足の森の住民もいる。彼らの生活にも影響が出そうだ。

過去の密林破壊ケース
トヨタへのエンゲージメントに初めて成功したというボストンコモンAMの当時のエンゲージメントのテーマは、ブラジル産銑鉄由来の鋼材の使用についてだった。今もそうかもしれないが、ブラジルの銑鉄(Pig Iron)生産は、木炭を使っており、この木炭はアマゾンの違法伐採と児童労働を含む奴隷的労働で生産されていた。銑鉄は鋼板となり、自動車のボディになっている。そこから、大手自動車メーカーに、サプライチェーンの社会問題として、ブラジルの銑鉄の問題を指摘したのである。古いガーディアンの記事によればGMやFord、BMW、日産などの名前も、ブラジルのこの不快で酷い木炭生産に関係があるオートメーカーとして指摘されている。サプライチェーンの責任を企業に求めた、初期のエンゲージメントケースだ。このとき既にアマゾンの違法伐採が問題になっていた。

米国ブッシュ政権時代、2006年からガソリンへのバイオエタノール添加が義務付けられたことから、エタノールの原材料としてトウモロコシが急騰した。それまで、穀物相場など商品相場は一貫して低下してきていた。中西部にバイオエタノール工場がバンバン建ち疲弊した中西部の農家(フィールドオブドリームスに詳しい)がピカピカに大変身した事件があった。このときの原材料として中西部のトウモロコシに対して価格競争力(たぶん炭素負荷効率でも)があるとされたのがブラジル産のサトウキビだった。ブラジルでサトウキビは最も少ない日数で育ち、生産効率が良いため、ブラジルから輸入しても採算が取れるとされた。アマゾンの森林がどんどんサトウキビ畑に変身したと言われれている。

BPの”気候変動”株主提案、再び賛成多数へ(by CA100+)

最近ちらちら見かけるClimate Action 100+とは、気候変動に関する機関投資家のイニシアチブで、気候変動ものでは、TCFDの次のブームだ。まあ、CDP(Carbon Disclosure Project)からはじまって、TCFD(Task Force on Clikate-related Financial Disclosure)までは、気候変動に関する情報開示(Disclosure)を求めてきたわけで、いよいよアクションだ、つまり温暖化ガス排出の削減を求めようというのがCA100+だ。グローバルで二酸化炭素排出の多い100社とその次に気になる61社、合計161社に対してメンバーに手を挙げた300の機関投資家による共同エンゲージメントを行う。具体的には、削減目標の設定を求め、具体的な成果=削減(アクション)をモニターしようというものだ。エンゲージメントの成果は、文字通り、温暖化ガス排出の削減達成だ。

Chairは、CalPERSのAnne Simpson氏。ピンとこない人はESG Newbieね。とはいえ、Climate 100+の元は、Aiming for ‘A’ Coalitionという英国の「気候変動に関する機関投資家のイニシアチブ」だ。英国においてBPとShellの気候変動に関する株主提案を95%の圧倒的賛成率で可決したという大成功の成果を上げた(注1)。気候変動ものの共同エンゲージメントでは、CDP以来の功績といっていい。このAiming for ‘A’ CoalitionはIIGCCに引き継がれ(注2)、気候変動の共同エンゲージメントを目指すCA100+となったのだ。

(注1)
英国では、株主提案には株主100人の賛同が必要なため、ほとんど株主提案はされない。株主提案を実現すること自体が共同エンゲージメントの成果といっていい。圧倒的賛成率を得た理由は、総会前に両社の取締役会が賛成を表明していたからだ。余談だが、リードした機関投資家の中に、Church of England(英国国教会)がいた。今回のCA100+になってからの、BPやグレンコアの共同エンゲージメントでも英国国教会が目立っている。

(注2)
IIGCC(Institutional Investors Group on Climate Change)は、欧州機関投資家が中心の気候変動に関する機関投資家のイニシアチブ。
IGCC (Investor group on Climate Change)で、は米国機関投資家を中心とするイニシアチブ。
Ceresは、米国の企業に環境責任を求める機関投資家のNPOで、ほとんどのESG投資に関するイニシアチブの発祥元。INCR(Investors Network on Climate Risk)を主催している。最近は米国のイニシアチブはINCRではなくIGCCを使っている。
アジアは投資家の気候変動に関する関心が薄いこともあって、気候変動に関する機関投資家のイニシアチブがなかった。意識高いオセアニアは、IIGCC(ANZ)を作っていたが。最近、AIIGCCが立ち上がったようだ。誰が中心になっているのかは把握していない。
CA100+は、IIGCC(欧)、IGCC(米)、AIIGCC(アジア太平洋)とPRIが主催している。

したがって、グローバルベースとはいえ、Aiming for Aを引き継いだIIGCCが中心になる。CA100+として、再びBPへの株主提案を予定しているが、BPの取締役会の支持を取り付けており、賛成多数を達成できそうだ。一方、Shellに対する株主提案は、Follow Thisというオランダの責任投資グループから出されるが、こちらはShellの取締役会の支持がないため、賛成多数は難しそうだ。Follow Thisは、BPにも同様の株主提案を出す予定なのだが、BPの取締役会は支持しないという。なので、BPには似たような株主提案で、片方は取締役会が事前にサポートを表明しており、もう片方はサポートしないという株主提案が出されるという、機関投資家株主には頭の痛い状況になりそうだ。取締役会が支持しているかどうかで、同じ内容の株主提案に異なった投票を行うというのは、取締役会への忖度にみえる。

他にも、すでにBPの取締役会が認識していることを株主が追認する必要はないという意見もあるだろう。とはいえ、BP自身がレポートに書いているように、Sustainable Developmentはエネルギーセクターにとっては、エネルギー需要の拡大と温暖化ガス削減の同時達成という難問を解くことである。そして、これが気候変動問題の核心なわけで、気候変動に関する共同エンゲージメントがエネルギー供給側から始まることに違和感はない。気候変動共同エンゲージメントはオイルメジャーへ横展開していくだろうし、資源開発や電源開発、発電事業に向かうだろう。

PG&Eの連邦破産法Chapter 11申請

PG&E(Pacific Gas and Electric Company, NYSE: PCG)は、カリフォルニア州の民営ユーティリティ会社の中で最大手の企業で主に加州の北側に電力ガスを供給しているが、史上最悪と言われた山火事の補償に耐え切れず、今般Chapter11申請(民事再生法)となった。

ブラウン州知事(今年1月で退任)がサプライズでクロージングスピーチに登場したCERESのカンファレンス(2017年4月)のメインスポンサーがPG&Eだった。女性CEOのGeisha Williamsがサステナブルなユーティリティカンパニーのあり方を熱く語っていたのが印象的だったのでPG&Eのサステナビリティレポートを持って帰って、日本の電力会社に渡したくらいである。もちろん、そこで100%自然エネルギー(これは前回選挙のときの社民党公約)などとは言っていない。PG&Eは電源ソースの多様化と災害対策が安定供給に重要だと強調していた。

しかし、その2017年からここ2年のカリフォリニア州の山火事は酷く、その一部が電線などからの火花がきかっけとされPG&Eが責任を問われているが、その額US$30Billion(3.3兆円)にも達するとみられており、万歳となったのだ。Chapter11なので、通常業務、電力供給に問題はなくその資金の確保はできている。もちろんユーティリティ会社がなくなっては困るので、株主と債権者の負担のもと再生案を練ることになる。すでにGeishaはCEOを辞任している。

このPG&Eを苦境に陥らせた原因の山火事は、もっぱら気候変動が原因で深刻化しているとの見方がある。カリフォルニアの熱波や干ばつも気候変動との原因との見方で、そのため山火事が深刻化したのだという。気候変動と山火事を結びつけるリサーチも多く発表されているが、自然災害については温暖化ほどのコンセンサスはない。カリフォルニアだけをみればそうかもしれない。が、確かに日本も昨年は災害が多かったが、大雨だったり台風だったりかなり水っぽいし、さすがに地震を温暖化ガスによる気候変動を原因にするのは無理がある。ま、米国は「大いなる田舎」なので地球には米国しかないか他国も自分たちと同じようだと考えている人が多い。カリフォルニアでそうなら、地球全体がそうだってことさ。

ちょっとハナシが外れたが、ということでPG&Eは、気候変動によって倒産に追い込まれた最初のユーティリティ企業となったのだ。さらに、カリフォルニア州ユーティリティ委員会は、山火事の補償リスクを電気代に上乗せすることを認めるという。いよいよ市民の財布に気候変動が影響する事態になったのか。

PG&Eの株主は、どうか。この気候変動のリスクへの備えを警告したのか?エンゲージメントしたのか?元CEOは気候変動の時代への対応は1企業には耐えられないといっている。他の民間ユーティリティ企業の対応はどうなのか。今年の電力会社へのエンゲージメントや株主提案は従来の「気候変動へのアウェアネス」からもう一歩踏み込んで「気候変動へのpreparedness」がテーマになるだろう。

さらに、カリフォリニア州がラディカルに進めるグリーン計画(2045年までに電源を100%カーボンフリーやゼロエミッション規制)に支障はないのだろうか。新しい加州知事のGavin Newsonは民主党のリベラル派で気候変動は公約のメインの1つらしいので、ブラウン知事の政策を引き継ぎブレなさそうだ。

山火事でPG&Eは倒産するが、TEPCOは福島原発でびくともしないんだよな

薄いルールブックを決めたCOP24

毎年この時期はCOP(Conference of the Parties)、気候変動枠組条約締約国会議が開かれる。今年はポーランドのKatowice(たぶんカトヴィツェと発音)で24回目のCOPが開かれた。

まずパリ協定について復習しておくと、2015年にパリで開かれたCOP21において
「産業革命前からの世界の平均気温上昇を「2度未満」に抑える。加えて、平均気温上昇「1.5度未満」を目指す」
と京都議定書以来18年ぶりに合意したのがパリ協定。196カ国の加盟国全員参加という初の快挙で、先進国も途上国も一律同じ枠組みで温暖化ガス排出削減に取り組む、ということが決まった。

で、今回のCOP24でパリ協定の実施に関するルールを決めないとパリ協定の2020年スタートに間に合わないというのが今回の課題。そう、パリ協定の具体的なルールは後回しだったのだ。その結果はというと、またまた徹夜の折衝を続け、ルールブックの大枠に関する合意採択にこぎつけた。ぎりぎりこの大掛かりなインターナショナルな交渉の場での失敗は回避された。

ここまでがだいたい日本語のメディアのカバレッジ。英語でググると、もう少しCOP24の様子がわかる。

石炭がフューチャー
最初に、ポーランドがCOPの開催地に選んだのがKatowice、炭鉱の町。さらにクラウン企業のコークス製造会社がスポンサーになっていた。石炭発電が主力電源となっている主催国ポーランドは石炭産業が気候変動問題に加わる余地を主張しているのだ。一方、独仏などEU先進国やIMFは2030年までに石炭発電をフェーズアウトするとしており、年金基金など欧州の機関投資家の石炭ダイベストはこれに歩調を合わせている。石炭フリーへ向かうなら、途上国の石炭産業のトランジションの面倒を見る必要があるというのがポーランドの開催地選択のメッセージなのだ。アジェンダにあった”Just Transition(公正な移行)”とはこういうことだ。石炭ダイベスト派はグリーン雇用を強調する。しかし、ポーランドの炭鉱労働者達に開かれているのだろうか。

石炭発電をベース電源に位置付けている日本は、途上国へクリーン石炭火力を積極的に売っている。(COP24でどういう主張をしたのかはわからないが)石炭発電をクリーンにして低炭素社会に残す、つまりクリーンエネルギー化する技術の開発、貯留技術とのセットアップなどで石炭発電をグローバルのエネルギーミックスに残すという戦略ではないかと思われる。本邦の機関投資家の中には海外の年金基金やSWFに倣って石炭ダイベストを掲げるところがあるようだが、素朴な疑問として国家戦略とのアライメントがなくてよいのだろうか?GPIFも一介の運用機関に気候変動対応を任せてしまうのも酷な話だ。英国には気候変動大臣がいるし、ノルウェー年金SFWはノルウェー国家の持ち物だから、国の気候変動戦略とSWFの石炭ダイベストと一心同体だ。

Money Matters
次にお金の問題。我々ファイナンス業界でなくても、世の中すべて先立つものはお金。パリ協定は先進国、途上国の区別なく一律のルールで温暖化ガス削減に取り組む。(ここ強調されるのは、過去京都議定書では先進国だけのオブリゲーションだったから)とすれば、途上国には先進国のような資金も技術もないから、先進国が支援する必要がある。それに、そもそも産業革命後、今まで温暖化ガスを排出して温暖化の原因を作ったのは先進国だ。そこで、Green Climate Fund、途上国への気候変動対策の資金援助が立ち上がった。2009年に総額103億ドル(内、日本は15億ドル)の拠出表明があったが、毎年1000億ドルが目標となっている。さらに最近のWorld Bankの見積もりでは、向こう5年のターゲットは毎年2000億ドルだという。ひえ、全然足りないぞ、というのが国際機関や途上国サイドの不満だが、金ヅルだった米国の脱退で、Green Climate Fundへの金の集まりに暗雲が立ち込めている。とまあ、途上国にとっては気候変動とは 開発援助(ODA)の枠組みなのだ。金欠の先進国は民間資金の活用=Green Financeという呪文を唱えている。世の中の金融緩和で水ぶくれしている金融資産は投資先枯渇状態でリターン低下が悩ましい。Green Financeは低パフォーマンスの大義名分となるかもだが、民間マネーはそう容易には途上国へ流れない。

Carbon Pricingはスルー
スウェーデンはノーベル経済学賞をカーボン税にあげたが、COP24ではまったくスルーとなった。たぶん投資家は経済学者の次にカーボンプライシング(カーボン税あるいはカーボントレーディング)の支持者だと思うが、政治の世界では人気がない。スルーだったので書くこともない。

国連もこの薄い合意を予見していたので、来年9月にルールブックの詳細を詰める会議を設定している。逆にこの根回しがあったので、COP24ではあまりがんばって詳細詰めなくてもという雰囲気があったという人もいた。NDC(各国の自主目標)を足し合わせても2度までにとどまらないようなので、NDCの積み増しも必要なのだが、それも9月に持ち寄る予定のようだ。まあ、この先送りモードでは、パリ合意の実効性にあまり期待をしちゃいかんということなんでしょう。

PRI in Person (4) 気候変動の情報開示はTCFDで

全体的に大義名分の多い会議だったが、TCFDについても、「これからの気候変動に関する情報開示はTCFD 」ということはアピールできたが、「TCFDってどうやるの」というアクションプラン(方法論)はよく見えないかった。したがって

気候変動情報開示はTCFDでやるけど、どうやるかは未定

というのが現況といえそうだ。

気候変動関連の情報開示といえば、CDP (カーボンディスクロージャープロジェクト)だろう。機関投資家は株式投資において、気候変動の問題を考慮すべきだといわれたとき、まずは企業の情報開示(ここでは温暖化ガス排出量の情報)が必要だということから始まった投資家イニシアチブで、毎年主要な企業に排出量情報の開示を求めている。今でどの ESG評価でも、排出量情報はCDPのScope 1、2の開示がディフォルトとなっている。

気候変動が経済活動にマテリアルだとしても、カーボン負荷が投資期間中に企業の業績に影響がでるかと言われれば、突然規制とか社会的なパニッシュが激辛になるとかくらいしか思いつかない。ここ数年はオイルガスセクターのStranded Assets (座礁資産)の再評価が盛んに指摘されたが、気候変動について何をカウントすべきか投資家は考え続けている。TCFDは、気候変動を金融セクターのシステミックリスクとして捉えて、「気候リスク」として理解、管理すべきという考えだ。(もちろん投資機会サイドもあるが、主としてリスクだろう) いつからそういう話になったのか?と思った人も多いかもしれない。このTCFDを金融安定理事会を設置したのは英国中銀総裁のリーダーシップで、マイケルブルンバーグがチェアとなり、ESG セレブリティが結集、TCFDが杭州G20でコミュニケで言及されるのではないかと、盛り上がっていたのは2016年のこと(されなかったが)。杭州G20といえば、グリーンファイナンス・レポートがGFSGから報告されたり(こちらはコミュニケ入り)と、サステナビリティが国際政治の場で俎上になりそうとESG業界は盛り上がったのだった。これは、中国が経済政策にサステナビリティを据えているからだが、その後のG20ではまた遠ざかっているようだ。

TCFD は全てのビジネスに気候リスクとその対応についての開示を求めておリ、気候リスクとは物理的なリスクと移行リスクだという。そのリスクのインパクトは過去ではなく将来的なものでなくてはならず、その計測にシナリオ分析を推奨している。つまり、今までの温暖化ガス排出量や座礁資産の評価といった実績値(過去値)ではなく、リスクマネジメントとしてルックフォワード(将来値)の開示を求めている。方法論を困難にしているのは、このシナリオ分析だ。これについてはまた別の記事でアップデートしようと思う。ここでは、この方法論についての新たな情報はあPRI in Person 2018では得られなかったと報告しておく。日本では経産省が年内にTCFDベースの情報開示ガイドラインを策定するといっていた。

ただし、気候変動情報開示については旧非財務としての情報開示のスタンダードを提供してきたGRIやCDPといったイニシアチブもどうやらTCFDの下に集結するようだし、PRIもendorseしているので(アセスメントレポートでもTCFDベースの開示を聞くだろう)表題のように、気候変動情報開示はこれからはTCFDベースということは確認できた。さらに、加えておくと、TCFDのターゲットセクターは金融である。なぜなら、グリーンファイナンスのコンテクストからやってきているから。さらに機関投資家自身も含まれているようなのだ。この点についてはPRIのアセスメントレポートの質問をみると判明するだろう。

 

温暖化ガス削減と日本のエネルギー政策

日本経済新聞 朝刊
2018年6月18日
エネルギー日本の選択(1) 思考停止が招く危機
原発「国策民営」の限界

日本のエネルギー政策が滞っている。原子力、再生可能エネルギー、火力とそれぞれが大きな課題に直面しているが、政府は近く閣議決定するエネルギー基本計画(総合・経済面きょうのことば)でも十分な具体案を打ち出せない。

COP21パリ会議において、2℃までの気温上昇で合意したということは、少なくとも先進国では、いずれ二酸化炭素(温暖化ガス)は排出できなくなるということを意味している。
企業もいずれ、スコープ1、2を開示しているだけでは許されなくなる。いつまでにどこまで減らすのか、減らしたのか、そして最終的にその目標は排出ゼロというわけだ。
企業が排出する温暖化ガスのほとんどは電気に乗ってやってくる。大事なのは発電ソースが何か?ということだ。
電気自動車も火力発電由来の電気で走ったら、温暖化ガス削減にはほとんど貢献しない。内燃機の効率はすばらしく上がっているので、火力発電ではるばる送電していたら温暖化ガス排出面で負ける可能性もある。コストを勘案するとさらに勝てないかもしれない。だから、エネルギー基本計画は、日本企業の温暖化ガス排出削減における競争力、さらには日本社会の低炭素社会への移行のすべてを握る。

そして、この記事が嘆いているように、電源構成において原子力発電を議論することが欠かせない。経産省はベース電源として原子力を位置付けているが、将来時点においてもベース電源として確保したいならば、既存の原発維持だけでなく新設もしなければならない。しかし、現実をみると既存の原発を稼働させることすらままならない。さらに、使用済み核燃料の問題、最近の地震の多発をみれば、今以上の原発稼働はかなり難しい。既存の原子炉は稼働しないままいずれ廃炉となる。にもかかわらず、エネルギー基本計画は原子力をベース電源として位置付けている。
一方、「原発無し」の計画もまた、気候変動という観点からは厳しいものになる。原発反対では電源確保に問題がないという議論多いが、温暖化ガス排出の削減という観点からは、問題がありそうだ。日本社会は相当のコスト負担を覚悟しなければならないだろう。ただし、茨の道でも道はあるということかもしれない。

欧州のESG準拠の投資家は、気候変動に関して原子力発電を化石燃料発電よりはクリーンと位置付けている。彼らは、化石燃料とりわけ石炭発電を消滅させることに燃えている。一方、ESGインテグレーションの観点からは、原子力発電はビジネスリスクを抱えるし、化石燃料や石炭は座礁資産(減価が必要な資産)とみている。そして、日本企業固有の気候変動におけるリスクは、国が非現実的なエネルギー基本計画しか持っていないということだ。