サステナビリティー(E&S)

たまご会社の賄賂とAnimal Welfare and more

東京地検特捜部は、吉川元農相を収賄の疑いで在宅起訴した。大臣室で500万円の現金を大手鶏卵生産会社であるアキタフーズの秋田社長(当時)から受け取ったとされる。業界団体の役員でもあった秋田社長は、2018年に国際獣疫事務局(OIE)から示された採卵鶏に関するAnimal Welfare (AW)の国際基準のプッシュバックを吉川農相に依頼。秋田社長からの反対要望書を受けて、農水省は2回に渡って反対意見を表明し、プッシュバックに成功した。秋田氏も贈賄で在宅起訴となっている。吉川氏は、賄賂ではなく、政治献金だったとしている。

特捜部としては賄賂が成立するという部分が鍵だが、ESG的には賄賂か政治献金かが大事ではない。政治献金だったとしてもけしからんということだ。米国では、この手の政治献金については毎年エンゲージメントのテーマにあがっている。米国企業の中には、表向きサステナビリティに理解を示しつつ、裏では、サステナビリティの基準や環境規制が入らないようロビー活動を繰り広げたり、そういうロビー活動をしているNPOなど諸団体に寛容な寄付をしたりしている企業もある

今回は、日本のあるあるケースでもある。大臣室でお金を渡したり、農林水産省の担当官僚を接待していたというのは、あまりに直接的で下品だと思うが、業界団体が陳情して経産省や農林水産省が国際基準のプッシュバックを試みるというのは、極めて日本的情景だ。アキタフーズというより鶏卵業界は、長期的な畜産のサステナビリティという観点よりも足下のコスト増を嫌がって、農林水産省にお願いして、鶏舎を広くたり、巣箱やとまり木を入れて鶏に優しくするのを勘弁してもらったというわけだ。

Animal Welfareってそんな御大層なものなのか、と思った貴方に、出羽の神である筆者が、ESG投資業界で見聞きしたAnimal Welfareや畜産業界に対する問題意識を幾つか紹介してみよう。

Animal Welfareの定義については、日本語ウィキペディアがしっかりしている。日本語Wikiは、英語Wikiに比べると良記事のヒット率はあまり高くないイメージだが、以下、日本語ウィキペディア「動物福祉」の記事から引用する。

動物福祉(どうぶつふくし、英語:Animal welfare)とは、一般的に人間が動物に対して与える痛みやストレスといった苦痛を最小限に抑えるなどの活動により動物の心理学的幸福を実現する考えのことをいう。

動物福祉:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

動物とは、家畜動物、展示動物、実験動物、愛玩動物、野生動物を指す。ここでは家畜動物のAWについて議論するが、他の動物についてのAWもESG投資にしばしば現れる。動物実験は米国SRI投資信託のネガティブスクリーニングの伝統的なクライテリアのひとつだし、毎年米国の株主提案にはAWや動物愛護ものが出される。シャチのような大型哺乳類を狭いプールで飼育し、芸をさせるべきではないというAWな提案がなされたこともある。そして、地球温暖化により野生種は大絶滅の危機にあるともいわれている。野生動物の生物多様性の維持は、最も喫緊の重大かつ困難な、つまり超マテリアルな課題として認識されている。

さて、家畜動物のAWの国際基準は、「5つの自由」の原則をベースにする。

  • 飢えおよび渇きからの自由(給餌・給水の確保)
  • 不快からの自由(適切な飼育環境の供給)
  • 苦痛、損傷、疾病からの自由(予防・診断・治療の適用)
  • 正常な行動発現の自由(適切な空間、刺激、仲間の存在)
  • 恐怖および苦悩からの自由(適切な取扱い)

家畜動物のAWで先行するEUでは、EU法によって「5つの自由」に照らして家畜ごとの詳細な飼育基準が決められている。採卵鶏の場合でいえば、日本の典型的な鶏舎のように、従来型の身動きの取れないような金属ケージでの飼育は、AWを満たさない。もう少し広さがあって鶏が動くことができ、巣箱や止まり木が設置されているようはケージが求められる。そして、理想的にはケージフリー、いわゆる平飼いが最も良い。CSRの基準である、GRIでは2000年からの国際獣疫事務局(OIE)の国際基準に即したAW加工食品の基準がある。食品安全性においても、The Bulletproof Diet (邦題:シリコンバレー式 自分を変える最強の食事)のデイブ・アスプリー も、ブレットプルーフ(安全)な卵は、平飼いで飼われている鶏の卵だという。AWは鶏をコンフォートにするだけでなく、「おいしくて体に良い卵」を生産するのに役立つ。

いや、そもそも養鶏なんてグロテクスなことをするべきではないという議論もある。鶏卵は、鶏という生き物を使って生産される。アキタフーズのWebページにも、日本で唯一の完全直営一貫生産システムとして、種鶏農場、ふ卵工場、育成農場、採卵農場の説明があるが、どの写真も狭いケージに鶏が並んでいるか、工場チックなものだ。ふ卵工場にはひよこの写真が使われているが、大切に育成されるのは規格に適ったメスのひなだけだろう。Factory Farming でググってみると、工場製品のように扱われる悲惨な家畜のYouTube動画がワンサカでてくる。卵より食肉生産つまり、工場内で食肉として生産される仔牛や豚の方がさらにグロテスクだが。

Factory Farmingという言葉を知ったのは、2017年4月のサンフランシスコで開かれたCeresのカンファレンスである。FAIRR(Farm Animal Investment Risk & Return)は、Factory Farmingのアドボカシーをやる機関投資家のイニシアチブだ。PE会社コラーキャピタルの創立社長のジェレミー・コラーがつくったNPOで、Factory Farmingの問題をリサーチし、機関投資家に情報提供したり、機関投資家を募って食品会社やレストランチェーンにエンゲージメントを展開している。ファーストフードチェーンに対して、抗生剤非使用の食肉を使うよう求めたエンゲージメントについてプレゼンされていた。また、カンファレンスのビーガンランチの間、ジェレミーとビヨンドミートの創業CEOのイーサン・ブラウンが対談し、次世代の(あるいは脱炭素社会の)サステナブル・フードの在り方について、語っていた。

ESG投資家は現代畜産のサステナビリティを考える。

2000年代、原油価格と共に農産物商品価格が高騰した時期があった。ブッシュ政権のガソリンにエタノール添加規制でトウモロコシ価格が上がったということもあったが、急成長をとげる中国の13億の人口が欧米型の食生活になれば、世界中の食糧を食い尽くすという妄想が市場には漂っていた。結局、世界的な食糧不足にはならず、石油価格が折り返し、いつしか農産物商品価格の高騰も終焉した。

世界人口100億人時代、十分な食糧生産ができるのか?食糧不足になるのではないか?と不安に思う人は多くいる。牛一頭仕上げるのに、どれだけ穀類を(配合飼料として)消費し、水を多量に使うか、という話はよくでてくる。そして、中国の中産階級が、欧米人のごとくTボーンステーキをたらふく食べるようになったら、どんだけ牛が必要か?新興国が豊かになれば、先進国、つまり欧米のような食生活になるに違いない。さらにフロンティア国も後に続くとなれば、世界中の(欧米からみて遅れた)人々が欧米型食生活にキャッチアップする、つまり肉食や乳製品のスカイロケットな需要に耐える畜産は世界的に可能とは思えない。アマゾンの熱帯雨林は全部牧草地になってしまう。先進国の畜産を人口100億人時代に直線的に拡大していって、地球環境が耐えられるのか?といったことだ。

個人的には、この議論にはいろいろ穴があるように思っている。アジアの多様性を考えれば、アジアの食生活が、おしなべて欧米化することはないだろうし、人口増のホットエリアであるインドで肉食が加速することも考えにくい。人口増加と食糧生産増加は、にわとりとたまご問題でもある。

たかが、畜産と思うことなかれ。ジャレッド・ダイヤモンドの「Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Society(邦題:銃・病原菌・鉄:1万3000年にわたる人類史の謎)」によれば、食糧生産、つまり作物栽培と家畜化が人類発展の契機だったという。畜産は社会発展をもたらす一方で、まちがいなく地球における動植物の生態系に影響を及ぼしてきた。そして、人類の他の動物種に対する究極の搾取(exploit)でもある。このあたりの話は、ユヴァル・ノア・ハラリのベストセラー「Sapiens: A Brief History of Humankind (邦題:サピエンス全史:文明の構造と人類の幸福)」に強く強調されている。ちなみにハラリ氏は家畜への同情を禁じ得ず、今はビーガンなのだそうだ。

Ceresのカンファレンスでジェレミー・コラーと対談していたイーサン・ブラウンの会社ビヨンドミートは、見分けがつかないくらい本物の肉に近い人工肉を植物原料から合成し、畜産の替わりにたんぱく質を提供しようというビジネスだ。ロンドンのサステナビリティ投資の運用機関、ジェネレーションIM社のマーク・ミルズは、オフィスのすぐ近くにできたビヨンドミートのハンバーガー屋の味に太鼓判を押している。米国の食肉大手のタイソンは、投資家から畜産に代替する植物由来のオルタナティブ・ミートへの投資を勧められている。一方で、米国の畜産業者は、「ミート」は動物の肉だけにしか使えないように、各州の裁判所に訴えてもいる。「ミルク」での失敗を繰り返さないためだ。ソイミルク、アーモンドミルク、ライスミルク、乳製品と関係ない様々なミルクによって乳牛ミルクのシェアは落ちる一方なのだ。1万3000年前に人類の飛躍をもたらしたという畜産を卒業する日がくるのだろうか?これは、「化石燃料エネルギーから卒業できるのか」と同じくらい壮大なESG課題なのである。

日本のグリーン成長戦略

思い返せば、2013年に安倍内閣がアベノミクスとして打ち立てた成長戦略「日本再興戦略−Japan is Back」の91ページ目に、「スチュワードシップ・コードを年内に策定する」とちらっと書いてあったのが、ガバナンス改革のはじまりだった。英国のスチュワードシップ・コードをコピペした日本版スチュワードシップ・コードに、公的年金や生損保までがよってたかって署名した。その後、生保が政策保有株を処分したという話はきかないが。

12月25日に日本政府は「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を公表した。経産省が他の省庁と連携して策定したものだ。さすがは経産省、ページ数こそ77ページとアベノミクス再興戦略からするとやや少なめだが、菅首相が所信表明で2050ネットゼロを宣言してから2ヶ月後には、2050ネットゼロにむけた工程表をまとめあげた。横断的政策ツールという部分は割りとあっさりしているが、14あるという重点分野におけるタイムラインに沿った詳細な「実行計画」が掲げられている。

ESG投資業界に関連しそうなところといえば、アベノミクス日本再興戦略 Japan is Back! のときは、たった1ページのそれも数行のみだったが、今回は全ページ関係する。しかも、全てが気候変動なのだ。ESG投資の資金を呼び込むとまで書いてある。ただし、この部分はあまりにもawkward(気まずい)だ。

ESGやSDGsには飛びついても、日本企業も日本の機関投資家も、気候変動に意図的に無関心なのは徹底している。例えば、社長自らがESG経営を叫ぶ花王の「ESG経営戦略」に、気候変動への対応や脱炭素は一言も出てこない(昨年時点。)クローズアップ現代でパーム油の問題を取り上げたときもパーム油の原料であるアブラヤシのプランテーションの労働者の人権問題としていた。グローバルでは、プランテーション開発のための熱帯雨林の森林伐採(Deforestation)が中心問題となっており、それはすなわち地球温暖化を悪化させる気候変動問題と捉えられている。ESG投資入門セミナーでは、いつも「ESG問題のサステナビリティ(E&S)部分の8割は気候変動問題だと思ってもらっていい」とお経のように唱えているが、ようやく日本でもグローバルと平仄があうことになるという期待が高まる。菅首相もグローバルから遅れをとってはいけないという理由で2050ネットゼロ宣言に踏み切ったようだから、ようやく気候変動が日本でもメインテーマになる。

そもそも「戦略」になっていなかった

経産省が他の省庁と連携して策定したとする今回のグリーン成長戦略だが、いつもの日本政府(官僚)のお仕事の作品という感じがする。経産省をメインとして、農林水産省や国土交通省などが所管分野のグリーンつまり脱炭素に関連する産業政策の青写真を持ち寄った総花感が強い。結局のところ、アベノミクスでも、3.11復興でも、女性活躍でも、グリーンでも、お題が変わっただけで、各省庁から所管分野への応援政策の数々を「取りまとめた」ものが作られる。

ところで、話は逸れてしまうが、お役所のパワポスライドはどうしてかのようにナイーブなのか不思議に思っている。フォントはゴシック系のカジュアルなものが好まれるようで、強調したいときは大きくしたり太字にしたり、赤字にしたり、下線ときに波線など、どれを選ぶかは作者の自由のようだ。印刷可能範囲を超えてめちゃくちゃ書き込んであり、角を落とした四角枠で所狭しと括ってあって、吹き出しも多様されている。お役所文章は平仄の塊だと認識しているのだが、パワポになると途端にフォーマル感を放棄してしまうのはなぜだろう。

話を元に戻すと、「取りまとめた」グリーン成長戦略には、「戦略」、つまりグランドデザインがない。2050年までに脱炭素という目標に対して、達成のための方針が示されていない。日本経済全体で炭素の収支を考え、脱炭素で最適化するというマクロ経済の話が示されていないのだ。

14の重点分野、グリーン成長つまり都合よく脱炭素で成長できそうな分野で、「高い目標を設定し、あらゆる政策を総動員」するという、北朝鮮、いや日本政府が大好きな「総動員」フレーズをみると、またかと思ってしまう。経済学では合成の誤謬はよく知られている。また、経済学の前提である資源の希少性も、総動員政策は考慮していない。つまり、希少な資源の優先順位もつけず、省庁の所管分野で産業政策や補助金行政を展開しても、その積み上げで、脱炭素成長が実現するとは思えない。

2050ネットゼロ目標とは

大気中平均気温の安定化あるいは大気中二酸化炭素濃度の400ppm近辺での安定化を目指すパリ合意に一致する。地球全体で産業革命以降(1900年)から今までの二酸化炭素の全排出量が推計され、この累計排出量で大気中CO2濃度上昇は説明でき、濃度上昇は平均気温の0.8℃程度の上昇をもたらしたと考えられている。2050ネットゼロが達成された場合、今までの累計排出量に、今から2050年までの総排出量を足した1900年から2050年までの人類CO2総排出量が決まり、以降ゼロ排出なので、大気中CO2濃度は2050年以降は安定化する。この安定化した大気中CO2濃度によって、1900年からの上昇分が平均気温の1.5℃〜2℃の上昇をもたらすが、2050年以降はそこで安定化する。気候変動の専門家の方からは、いろいろご批判はあると思うが、以上がとてもざっくり2050ネットゼロ目標の解説だ。

産業革命以降のCO2排出は、化石燃料の燃焼エネルギーを動力や電力に変換して利用していることから生じる。したがって、燃焼以外のエネルギーを変換して利用できれば、脱炭素は可能だろう。良いニュースとしては、エネルギー自体は地球上にふんだんに存在するし、変換することもできるらしい。お天道様とか重力とか尽きることのないエネルギー供給があるから。一方で、化石燃料エネルギーによる発電や内燃機による移動は、石油本位主義とか石油資本主義と呼ばれてきたくらい、現在の経済活動の根幹である。化石燃料エネルギーの利用をやめられない場合は、脱炭素には、排出CO2を回収貯留することになる。したがって、2050年時点のエネルギーミックスの到達点を決めることが、脱炭素のためのグランドデザインに欠かせない。化石燃料を完全に卒業する計画ならば、化石燃料以外から、電力、動力を得なければならないし、化石燃料を直接燃焼させる製造工程も放棄しないといけない。化石燃料を燃やす場合は、完全な回収貯留が2050年に実現していなければならない。逆に回収貯留できるのであれば、化石燃料を燃やす余地はあるということになる。

2050年のエネルギーミックス

経産省(2020)2050カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略より

2050年時点の目標そこへの到達経路、つまりAs is (現状)とTo be(目標)、経路が描かれていれば、おのずと必要な技術が見え、企業はどこにR&Dを向けていくべきなのかがはっきりする。そして、日本の脱炭素技術が、グローバルの脱炭素を進展させるとき日本の競争優位つまりグリーン成長が可能になると考える。
しかし、「脱炭素にはオール電化」などと意味不明なことがグリーン成長戦略に書いてある。EVのために電力消費が増加するとあるが、増やしてどうする。部門別に脱炭素を考えていくべきであって、電力の脱炭素が最優先になるのは、37%を占めており、化石燃料に依存して脱炭素が困難だからだ。電力のエネルギー源に化石燃料を残すならば、効率のよい内燃機(エンジン)で燃焼させた方が、化石燃料由来の電力でモーターを動かすよりよっぽど効率的で、回収貯留するCO2も少なくてすむはずだ。それは水素にもいえることで、水素自体が他のエネルギーを利用して作成されるため、水素はエネルギーの運び屋として使えるにすぎない。しかも、水素は常態では安定しないので、かなり手間のかかる運び屋だ。運ばせるだけにあれやこれやとエネルギーを必要とする。化石燃料が残る場合も、完全にクリーンエネルギー計画の場合も、その電力や動力を直接使った方が、水素を介するより効率的だ。ということで、2050年時点のエネルギーミックスが電化をすすめて電力使用量を増加させる、つまりエネルギー不効率にするというのはありえないと思うのだ。

脱炭素のキーテクノロジー

グリーン成長戦略は、経済ボロボロにしてでも、なにがなんでも脱炭素ではなく、グリーンで経済成長という新しい考え方とされている。しかし、1991年のリオの地球サミット以来、Sustainable Development(持続的な開発)は、一貫して温暖化防止と経済成長を両立させることを目論んでいる。グリーン成長は、両者がトレードオフではなく、両立するむしろwin-winの関係になると主張する。そこで、グリーン成長に鍵となる日本企業に期待できるテクノロジーを重点分野から考えてみた。

パリ合意の総排出量コントロールの話でいけば、実際にグローバルで2050ネットゼロが実現したとしても、2021年から2049年までの排出量でいわゆるカーボンバジェットをオーバーしてしまうようなのだ。つまり1.5℃〜2℃以上に温暖化してしまう。2℃〜3℃くらいはいってしまう。つまり、2050年以降ネットマイナスにして、累計総排出量を下げないといけない。大気中からCO2をネットで回収しないといけないなどと予想されていることからして、回収貯留技術(CCS)は必要不可欠になると考えられる。

再生可能エネルギーで50%〜60%賄うとあるが、再生可能エネルギーの利用には蓄電技術が必要だ。再エネの蓄電とは別に、EVの電池も課題だ。テスラはリチウム電池のみでやってくつもりみたいだけど、都市部でのEVの普及には、次世代電池が必要なんではと思う。それに、電気トラックは今のリチウム電池では無理だ。

脱炭素には避けて通れない原発だけど、国内の嫌原発に配慮して、うやむやな記載になっている。この際、炎上させてでも表に出してきっちり議論すべきだと思う。もっとも、日本政府も社会もとても不得意なことだけど。原発に対する政策も、グランドデザインの議論でされるべきだ。2050年時点では、既存の原発の多くは定年を迎えており、新規に建造しない限り原発による出力は見込めない。2050年時点で原発由来の電力を期待するのであれば、新規原発製造となるがこのときは、安全性が高く見た目もごつくない小型原子炉が選択されるだろう。一方、2050年卒原発も、もちろんそれも選択肢の一つだと思う。前述したようにエネルギー自体は枯渇することがない。化石燃料依存率は高まるかもしれないが、いずれどのような形にエネルギーミックスが進化していくかは、これからどこに投資が向かうかにもよる。

2050ネットゼロ宣言後のエネルギー基本計画に注目しよう

菅首相の所信表明演説での2050ネットゼロ宣言も、一応FTの記事にはなっていたが、割りと海外メディアは地味だった。直前に中国の習近平国家主席が国連総会のビデオ演説で2060ネットゼロを宣言したので、ちょっとかぶってしまった感もある。どちらも今までの目標からかなり飛躍があるのだが、方法論は示していないことから、気候変動NPOsも期待感を高めつつも本気度を疑う部分があるようだ。欧米からすれば、アジアとりわけ極東アジアには理解不能なダブルスタンダード(二枚舌)が存在する。もちろん表向きにはそのようなものは存在しないのだが(これもダブルスタンダード)。本気なのかリップサービスなのか見極めにくい。

それでも、2050ネットゼロで、どこまで日本政府がガチでくるのか、つまり株式市場において、いや我が国の経済にとって、いよいよ気候変動がSubstantialになるのか、チェックしておいた方がいいだろう。

そこで、ここでは今までの日本の気候変動戦略をおさらいしておこう。まず、「2050ネットゼロを宣言致します!」と菅首相は力強く宣言されていたが、パリ合意は2020年1月より約束期間に入っており、パリ合意(目標、気温上昇を2℃以下、できれば1.5℃)の下の我が国のGHG削減自主目標(Nationally Determined Contribution、NDC)は、2030年に▲26%(2013年比)というものだ。

EUは2030年に▲40%(1990年比)で、2013年比にすると▲24%、米国は2025年に▲26〜28%(2005年比)で2013年比にすると▲18〜21%である。比較年がバラバラなのは、それぞれ数字をよくするための戦略だが、Apple to appleでみると、日本のNDCがことさら低いわけではなかった。

ちなみに2050ネットゼロは、1.5℃対応の最も急進的なGHG削減経路であり、もちろん現在の2030年▲26%目標は、おそらく▲50%以上にしないと間に合わない。2050ネットゼロは、2100年までまったり削減していけばいいやというモードを払拭して、手前の20年くらいでがっつり削減して、貯金をつくるという目論見なのだ。もっとも「ネット」という言い方がやや気になるが。

この我が国のNDC達成は、経産省によれば、省エネによる需要低減(17%)とエネルギーミックスの変更による。2018年のエネルギー基本計画では、2030年のエネルギーミックスは再エネ23%、原子力21%、天然ガス27%、石炭26%、石油3%というもので、石炭をベース電源と位置付けていた。

このエネルギー基本計画が安倍内閣で閣議決定したときは、ESG投資業界では石炭ダイベストメント運動が燃え上がっており、石炭採掘関連企業の不投資を表明する米国大学のエンダウメントがあったり、ノルウェー年金が石炭火力発電もネガティブリストに加えたり(日本の電力会社もリスト入り)、化石燃料から決別する次社会では油田や炭田が座礁資産(Stranded Assets)だとする議論が盛り上がっていた。

大震災以降の状況や日本の再エネリソースの状況を鑑みれば、このエネルギーミックスは現実的な選択から引き出されていると思われるが、グローバルトレンドのDirty Coal運動からみると日本の石炭をベース電源とするエネルギー戦略はKYすぎるものだった。

さらに、経産省は石炭火力発電プラントを戦略的輸出商品と位置付けており、国策会社として三菱重工も風力の羽は造らないが、石炭火力は残すといっていた。エネルギー基本計画と経産省の産業政策から石炭を抜くのは難しいのだ。

しかし、グローバルでは石炭への非難はエスカレートしていく。コロナパンデミック前の2019年のCOP25はパリ合意発効直前のCOPとして、パリ合意のルール作りを目指して開かれた。そして、ルール作りには失敗した。COPデビューの小泉環境相は脱石炭のコミットメントを目指したが、自民党はOKしなかった。しかし、彼はグローバルの脱石炭の風圧を持って帰り、海外から猛批判の石炭火力発電所の輸出のハードルをあげ、事実上輸出しないようにしたり、国内の非効率石炭火力のフェードアウトなどが打ち出された。

とはいえ、石炭をベース電源と位置付けているエネルギー基本計画との整合性はどうなの、というツッコミは残る。混焼や石炭ガス化複合発電など高効率を理由に石炭火力発電を残していくのか、つまりグローバルでは脱石炭といいつつ、ベース電源石炭は変えずにいくダブルスタンダードでいくのか、CO2回収・貯留技術(CCS)を開発して真なるCO2フリー石炭を実現するのか、それとも脱石炭、石炭は諦めて、別のベース電源を探すのか、政府の方針がはっきりしない。

そして、菅政権発足してすぐに、梶山経産相は再エネの主力電源化を表明、経産省はエネルギー基本計画の見直しに着手したと報道されたが、翌日には、いきなり所信表明演説で2050ネットゼロ宣言をする見通しとなった。これは、日本固有のやり方であるボトムアップ積み上げ方式ではラチが開かないとみて、トップダウンアプローチとして菅首相のリーダーシップなのか、あるいはビジネスコンサルで流行っているバックキャスティング方式を採用したのか。2050ネットゼロを可能とする2050年時点のエネルギーミックスはどのようなものか、そこに到る途中経路の2030年時点ではどのようなものか、今度のエネルギー基本計画で方法論がわかると期待したい。

またいつもの通り、有識者会議で検討されるのだろうが、我が国の2050ネットゼロへの道は容易くはない。再生可能エネルギーの主力電源化やCCSは、技術的なブレークスルーが必要だが、民間経済の開発投資では難しい。どのイノベーションに賭けるか、開発投資をどこに向けるのか、まあ、つまりは補助金をどこに投下するのか選択することが必要だし、逃れられないのが原子力発電の再稼働、新設の議論だろう。2050年からのバックキャスティングならば、2050年ネットゼロ時点で、原発は永続的な電源なのか、あるいは既存原子炉の寿命と共にフェードアウトして、原発から卒業するのか、決めておかないといけない。これら国民を「分断」しそうな議論を「有識者会議」を経て、近いうちにくるであろう国政選挙のテーマとして正面から国民に問いかけてもらいたいものだ。

スガメートチェンジ

菅首相は初の所信表明演説にて、「ここに2050ネットゼロを宣言する」と2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロとする目標を打ち立てたことを表明された。既に、数日前から日経新聞の速報が流れていたし、サポートとも批判ともつかない記事を連発していたので、すでに新鮮味は薄れていたが、一応感想を述べておくと、割と唐突な感じ、それはデジャブでもある。

そう、安倍政権はガバナンス改革を三本目の矢にしたが、日本復興戦略に「年末までにスチュワードシップ・コード策定の目処をつける」とあったのだ。前後になんの経緯も背景も説明はなく、割と唐突にスチュワードシップ・コードだけがでてきた。スチュワードシップ・コードはコーポレートガバナンス・コードのスピンオフだ。どうして、スチュワードシップ・コードなんかなと不思議な感はあった。(翌年にはコーポレートガバナンス・コードを作った)

今回も、経緯や背景の説明はなく、なぜこの目標を今、所信表明演説にて宣言する必要があるのか、なぜ2050年なのか、とかネットゼロとか実質ゼロってどういう意味なのか?とか、一番肝心のどうやって達成するのか?方法論とか、経済や国民生活への影響は?この目標を達成した暁には何がやってくるのか?とかいう部分は端折ってあった。

そこで、余計なお世話かもしれないが、ここでちょっとだけ補足説明しておこう。現在、全世界の国々は、気候変動枠組条約を批准しており、気候変動を緩和しつつ経済成長を目指すことで合意している。気候変動の緩和と経済成長を両立させることを、Sustainable Developmentと呼んでいる。(ほらどこかで聞いたことがあるでしょう)2018年、世界は気候変動の緩和について具体的に1900年以来の気温上昇を2℃以下に抑える(2100年あたりで安定化)という目標についてパリで合意した。(パリ合意、Paris Accord)

これに基づいて、各国は削減目標をたてているが、京都議定書のときと違って自主目標(NDC, Nationally Determined Contrbution)だ。日本は2018年のエネルギー基本計画とたぶん整合性があると思われる2030年▲26%削減(2013年比)を公表している。

2100年時点で2℃の上昇で安定化するためのスケジュールとしては、ざっくり現在は経済成長とともに増加している温室効果ガス排出を、2050年までにピークアウトし、そこから削減へとすすめて、2100年ごろには排出ゼロというイメージだ。

ところが、パリ合意をよくみると、2℃以下じゃなくて、2℃よりずっと下でできれば1.5℃にせよとある。今では、2℃じゃ生態系などは守れない、1.5℃に目標引き上げというのがグローバルのトレンドとなっている。この1.5℃目標達成のスケジュールは、2℃よりもっとタイトになり、2030年までにとっくにピークアウト、2050年までにゼロ排出、その後ネガティブ排出(つまり温室効果ガスの大気中からの回収)くらいやらないと達成できない。

ここから、2050年ゼロ排出目標が出てきた。いつ「実質」がつくようになったのかはわからないが。ということで、菅首相の2050ネットゼロ宣言は、日本も1.5℃目標派にジョインしたということなのだ。とはいえ、国レベルで2050ネットゼロを決めているのはEUだが、日本が追従してくるとは結構サプライズなのではないだろうか。

通常、気候変動のシーズンは秋で、国連の気候サミットが開かれたり、11月末から12月にかけて本チャンのCOPが開催されるのだが、今年はコロナで延期となっている。それでも、国連総会で中国が2060年ごろネットゼロを宣言したり、カリフォルニア州が2030年以降のガソリン車の販売を止めるといったり、いろいろ気候変動関連のニュースが賑わっている。なので、この時期の所信表明演説は、気候変動シーズン中なのだ。

(つづく)

世銀のパンデミック債はESG投資か (その1)

パンデミック緊急ファシリティ(Pandemic Emergency Financing Facility、PEF)
2014、2015年にギニアやリベリア、シエラレオネでアウトブレイクしたエボラ出血熱のとき、国際支援に苦心したことから2017年に作られたパンデミック時に途上国や国際機関に資金支援をするスキームである。キャッシュ枠と保険枠があり、キャッシュ枠はドイツが、保険枠は日本とドイツがスポンサーである。2018年のコンゴ民主共和国(DRC)でおきたエボラ出血熱ではキャッシュ枠が発動、初めてUSD12mio(13億円)を拠出した。このときは、保険枠は発動しなかった。

世銀のパンデミック債
保険枠の保険料は日本とドイツが負担しているが、保険自体はCAT債にのせて投資家に販売されている。CAT債の購入者が、保険料をクーポンとして受け取り、イザ保険枠の拠出となったときは、CAT債の元本が保険金に充てられる。あの世銀(IBRD)が出したCAT債は、世銀の資金支援のあたらしいカタチとして仙台のG20財務大臣会議の成果でもあった。

CAT債の概要
発行体:IBRD(AAA/Aaa)
発行日:7/7/2017
償還日:7/15/2020(3年+)
発行金額:Class A USD225mio, Class B:USD95mio
クーポン:Class A 6mL+650, Class B 6mL+1,110
トリガー(パンデミックと認定される条件):パラメトリック

発行額は合わせてUSD320mio(今の為替で340億円くらい)と世銀債としては小規模な私募債で、シニア(Class A)とメザニン(Class B)の2トランシェからなり、世銀のプレスリリースによると、この世銀初のパンデミック債には200%の応募があり、大半はCATボンド専業のファンドが買ったが、年金基金や大学基金、また彼らの資金を運用するアセットマネージャーも購入したという。

シニア(Class A)は、カバーするパンデミックがインフルエンザとコロナウイルスで少なく、パンデミックとなっても元本は最大16.67%(1/6)しか毀損しない。
メザニン(Class B)は、フィロウイルス(エボラなど)、コロナウイルス、ラッサ熱、リフトバレー熱、クリミアーコンゴ出血熱と多くの感染症をカバーし、パンデミックとなったときは元本は100%毀損する。

このパンデミックリスクを引き受ける代わりに、ハイクーポンが設定されている。発行体IBRDでこのクーポンというのもなかなか見られない取り合わせだ。(IBRDの発行コストは超々低いので、仕組債つくってもこんなハイクーポンはひねり出せない)

新型コロナウイルスでPEF保険枠発動
保険枠の発動は、すなわちパンデミック債のトリガーが引かれると、保険枠が発動する。パンデミック債券は償還となり、保険の支払い、すなわち支援対象の途上国への資金援助額分、元本が毀損した状態で償還される。最大支払いとなった場合は、シニアは5/6で償還され、メザニンは全損となる。

何をもってパンデミックと認定するかは、Terms & Conditionに決められている。世銀によると、
パンデミックトリガーはパラメトリックに決められており、WHOのデータを基に、死者の数、12週間経過、一定以上の感染率が揃うとトリガーが引かれる。

コロナウイルス対象のトリガーの詳細
アウトブレイクのサイズが、累積感染者数が250人以上、各国の死者数が250以上、アウトブレイクスタートから12週間が経過、
感染拡大のスピードが、感染者数/累積感染者数>20%
20人以上の死者が出た国が1カ国以上
感染者数グロースレート(増加の加速度)がプラス(AIR Worldwide社が計算する)

最後のグロースレートについて、3/31にプラスとなり、トリガーの発動が確認された。AIR Worldwide社は、WHOのデータを基に計算し、確認されたのは4/13でレポートデートは4/16だそうだ。ファシリティの保険枠の最大USD195.84mio(209億円)が拠出され、最貧国中対象となる64カ国にUSD1mio~15mio(1億円〜16億円)割当られる。またWHOなどの国際機関やNGOも配布対象となっている。

支援額をみて、金額が思ったより小さいなと思われた方はいるだろうか。アベノマスクでも466億円、10万円給付金で13兆円だし。とはいえ、国際開発協会(IDA)適格の最貧国が対象で、Per Capita GNIがUSD1,175(13万円)を超えていない国だそうだから、この金額で正しいのかもしれない。一方で、全額で200億円くらいなら、日本がアベノマスクの半分の予算で支援してあげれば済むじゃないか、ともいえそうだ。それに、国際支援はこれだけではないのかもしれないし、このあたりは、国際援助の相場がわからないので、なんとも評価できない。国際支援のプロに聞いてみたい。

ちなみに、ここまでに日本とドイツが負担し、CAT債ホルダーにクーポンとして支払われたプレミアム(保険料)の総計は、USD107.2mio、CAT債ホルダーが負担するのはUSD195.84mioということで、スポンサー国は都合USD88.64mio節約できたことになる? まあ、単純に引くのは、ちょっと待ってね、この議論にはTime Valueが加味されていないし、ストラクチャリングに関係するかなり多くのカウンターパートの手数料もある。まあ、そこまで手間暇かけて、これかよっ感がかなり強いとだけは言っておこう。

ここまでが、世銀のパンデミック緊急ファシリティについて。
はあ、本題まで行き着かなかった。To be continued.

パンデミック(新型コロナウイルス)の背景にあるESG問題

パンデミックは、システミック・リスクとして認識されていたが、その先の議論はあまりなかった(と思う)
ニアミスなバクテリアの話はあった。Factory Farming (工場方式畜産)やFish Farming(養殖漁業)の抗生物質の乱用が、抗生剤耐性細菌を生み、その感染が拡大するエピデミックが懸念されていた。これは実際にエンゲージメントされていたし、外食産業は抗生剤フリーとまではいかなくても削減した食材の仕入れを約束しており、サプライチェーンをケアしている。

ウイルスによるパンデミックを事前にリスクとして捉えていたかというと、それはあまりなかったといっていいだろう。投資家が、広すぎるESG問題を事前にリスクとしてカバーするのは難しいのだ。

過去、ESG問題のreadiness(備え)力は低く、悲惨な事故や自然破壊が起きて初めて、ESG問題に気がつくことが多い。バングラディッシュの縫製工場、ラナプラザ・ビルが倒壊して、ブランドファッションのサプライチェーンの過酷な労働環境が明らかになったり、メキシコ湾でBPの海底油田掘削施設「ディープウォーター・ホライズン」の掘削パイプが折れて、絶望的な原油流出にみわれて、海底油田の海洋汚染リスクの大きさが認識されたといった具合だ。

だから、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大において、過去のreadinessの無さを嘆くより、このパンデミックのLesson learnedは何かを考えた方がいいのかもしれない。

今回注目するのは、最近メディアでボイスアップしている、霊長類学者ジェーン・グドール博士だ。博士は、森林破壊生物多様性の喪失というE(環境)問題がパンデミックの原因だと指摘している。

霊長類研究のスーパースターで自然保護運動のアイコン、グドール博士についてはナショジオにあたってもらうとして、
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20130108/336202/?P=1

新型コロナウイルスは、武漢の野生動物の肉(Bush meat)を取引する市場で、野生動物から人間に感染ったと考えられている。過去、人間界の新しい病気の半分は、野生動物からやってきたウイルスが原因なのだ。そして、野生動物界には未知のウイルスが巨万といるらしい。野生動物と接点があれば、そこから様々な病原ウイルスが人間界に憑依する危険性がほぼ無限大にあるということなのだ。

手付かずだった森が、loggingやminingで開発され、道路が通り、人口が増え村が発展すると、今まで人間と出会うことのなかった野生動物と接触する機会が増える。原生のままの熱帯雨林では、野生動物の個体や種は、それなりに間隔があり、それがウイルスに対して自然のバリヤーになっている。開発により野生生物の生息環境が悪化し、混み合うようになると、自然のバリヤーを失い、ウイルスが渡り歩くようになる。ウイルスに対して脆弱になった野生生物界が、開発によって人間のすぐ近くまで来ている。そして、人間界、つまり都市部には人間界に適応したコウモリ、ネズミ、鳥そしてペットなど多くの生き物が多く生息している。野生生物界から来た未知のウイルスがこういった生き物を経由して人間に飛び移るリスクは高くなっている。

森林破壊生物多様性の喪失が、新型コロナウイルスのようなパンデミックの原因だとして、環境保護、国立公園や野生動物のサンクチュアリをつくって、野生生物の純粋な自然エリアを保つことが必ずしも解決策にはならないと、グドール博士は続ける。国土の8割がアフリカの森林で覆われているガボンの村では、捕まえたサルを食用として売っているし、今はおおっぴらにはできないだろうが、類人猿も食べてきた。村で暮らす人にとってコウモリなど野生動物は貴重な食糧である。ガボンのMayibout2という村でおきたエボラ出血熱のアウトブレイクでは、近くの森でみつけたチンパンジーの死体を運んで、解体を手伝った子ども達が最初にチンパンジーからエボラウイルス感染したといわれている。裕福とはいえないアフリカの村の人々にとって、野生動物の肉は貴重なタンパク源だし、マーケットで生きたままの野生動物を売買するのは、冷蔵庫のない世界では必要なことだという。野生動物の肉食を止めるには、貧困の解決が必要だ、グドール博士は強調する。

ここまでの話は、3/18付のガーディアン紙の記事を参考にしている。
https://www.theguardian.com/environment/2020/mar/18/tip-of-the-iceberg-is-our-destruction-of-nature-responsible-for-covid-19-aoe

野生動物の肉食は、ただ貧困から行われているというのは、西欧的な見方かもしれない。2007年の国連で採択された「先住民族の権利に関する宣言(Declaration on the rights of Indegenous Peoples)」では、先住民族の権利として狩猟文化や伝統的な食生活も尊重すべきだとする。野生生物界、すなわち純粋な自然の中にブレンドインしている民族の狩猟行為はそもそも野生動物の持つ病原ウイルスのリスクにはさらされてきた。ただし、これらは風土病として、その集落で収まり、パンデミックにはならなかった。しかし、最近では、純粋な自然界は開発にさらされ、アマゾンの熱帯雨林などに住む非接触部族とはいえ国立公園内に住んでいることも多いし、採掘業者が出入りしている。アマゾンのヤマノミ族にも新型コロナウイルスはすでに到達している。狭まった野生生物界での狩猟行為の未知のウイルス感染リスクは高まっているだろう。パンデミックのリスクとして狩猟文化を放棄させるべきだろうか。先住民族の権利とのバランスを取るのは難しい。

狩猟採集を放棄し、定住農耕牧畜へ移行した方がいいのだろうか。境界がもはやあいまいな野生生物界をあきらめて人間界に来た方が安全だろうか。しかし、人間界の畜産も安全でなさそうだ。鳥インフルエンザや牛の口蹄疫など家畜の伝染病パンデミックは度々起こっており、鳥インフルエンザはいつ変異してヒトに感染するウイルスとなるかもしれない。ここにも、パンデミックの入り口が開いている。Factory Farming(工場型畜産)の問題を提起しているFAIRRも、Facrotry Farmingのリスクに、パンデミックを当然足すだろう。最終的には動物由来のタンパク質を諦めるという話になれば、最近米国で大流行のAlternative Meatとか植物由来のフェイクミート、ソイ・ミルクやアーモンド・ミルクなど植物由来のミルク、いわゆるサステナブル・フード(プロテイン)が、パンデミック回避の道として、注目されるかもしれない。もちろんアマゾンがダイズ畑になっているのがイカンという人もいるのだが。

新型コロナウイルスのパンデミックに繋がるサステナビリティ(環境と社会)イシューは
森林破壊、生物多様性
先住民族の権利
サステナブル・フード(プロテイン)

などがありそうだが、そうシンプルな話ではない。
まさにSustainable Development(持続可能な経済成長)が難題であることを示している。

パンデミック(新型コロナウイルス)に近かったESG課題

パンデミック(感染症蔓延)という人類が長らく戦ってきた社会問題がESG課題の中に含まれていたか、について思い出している。前回は、パンデミックがシステミック・リスクとしてかろうじて認識されていたという話だった。もうひとつ、近かったリスクとして、抗生剤乱用問題がある。

Factory FarmingとかIntensive Livestock ProductionでYutube検索すると
工場で生産される、身動きのとれないケージで出荷を待つ牛や豚、ぎゅうぎゅう詰めの鶏などの悲惨な動画がいくつも上がってくる。
これらは、Animal Welfare(動物愛護)の観点から、グロい工場方式畜産を告発している。

投資の世界で、Factory FarmingをESG課題として活動しているのが、FAIRRだ。
FAIRR(Farm Animal Investment Risk and Return)は、2015年コラーキャピタルのCEOのJeremy Collerが始めた投資家のイニシアチブで、Food(食品)セクター、中でもFactory FarmingあるいはAnimal Protein ProductionセクターのESGリスクを取り上げる。

Animal Protein Productionとは、畜産、酪農、養殖漁業で、2018年より公表しているColler FAIRR Protein Producer Indexを構成するESGリスクは
1. Greenhouse gas emissions (温暖化ガス排出)
2. Deforestation and biodiversity loss(森林破壊と生物多様性喪失)
3. Water scarcity and use(水資源と水利用)
4. Antibiotics(抗生物質)
5. Waste and pollution(廃棄物と公害)
6. Working conditions(労働環境)
7. Food safety(食品安全性)
8. Animal welfare(動物愛護)
9. Sustainable proteins(持続可能なタンパク源)

4. Antibiotics(抗生物質)のリスクとは
畜産や養殖漁業では、混雑した飼育環境での感染症を防止のため、抗生物質を多用しているといわれている。抗生剤はヒト用と共有しているものも多く、抗生物質の乱用によって抗生物質に耐性のある細菌を生み出すといわれている。

FAIRRを通じてESG投資家達は、畜産や養殖漁業において、抗生剤の使用を控えることを求めているが、サプライチェーンの最終地であるマクドナルドなど外食産業に対して、抗生剤使用を削減した肉魚の仕入れをするようにエンゲージメントを展開してきた。これについては、多くのメジャーな企業が、抗生剤使用の削減を約束している。

この他にも、適切に処理されず廃棄された抗生剤が、ゴミ置き場で耐性細菌を生み出すかもしれず、ゴミ処理者が感染するリスクも指摘されている。こちらはESG課題としては廃棄物処理(Waste Management)の分野だ。

多くの細菌が耐性を得てしまうと、人類が得た細菌感染に対する抗生剤という治療薬(薬というよりこれも細菌なのだが)を失ってしまうかもしれない。感染症で多くの人が命を落とす時代に戻ってしまうかもしれないというのだ。実際に、街の耳鼻科でも、耐性細菌の感染はまま発見されている。細菌は、ウイルスほど感染力は強くないが、じわりじわりと薬の効かない感染症が増えていくという点では、スローパンデミックのようだ。

しかし、ESG投資家が発見していた「抗生物質の使いすぎ問題」は、新型コロナウイルスによるパンデミックというシステミック・リスクを引き起こした直接的な原因ではなかった。

新型コロナウイルスはESG課題だったか

ビッグイシューすぎる気候変動はちょっと置いておいて、

過去、ESG投資家が取り上げてきたESG問題には、具体的なケースとして、カカオの児童労働、フィリピンのスウェットショップ、パームオイルの森林破壊、海洋プラスチック問題などがある。これらは、世界中で観察される様々な環境問題や社会問題だ。つまり、既にそこにある問題だ。

たいてい企業の環境破壊の事故や不祥事は、事前にはノーマークなことが多く、事故などをきっかけにESGの問題として認識されることが多い。BP社のメキシコ湾沖の海底油田の原油流出事故、TEPCO福島原発事故、VW社のディーゼル排ガス不正、どれもESG優等生企業が起こし、全投資家がディープウォータードリリングや原発のリスク、クリーンディーゼルの嘘っぱちに気がついた。

このように、ESG問題については後追いなことが多い。カバレッジが大きすぎるということもあるだろうが、総花的なESGスコアで事前キャッチできたということは、はっきりいって全く無いのだ。

しかし、本来、投資やリスク管理はフォワードルッキングでないといけない。
気候変動の問題は、2100年時点の平均気温上昇を抑えようというフォワードルッキングな議論だ。だからいろいろと難航しているのだが。

新型コロナウイルスのパンデミックをESG投資がどれくらい認識していたかについて、自分の記憶を辿ってみた。
結論からいえば、やっぱり「パンデミックへの備え」が中心テーマになったことは、あまりなかった。あくまでもグローバルESGウォッチャーを自認する筆者の記憶においてだけれども

システミック・リスク
2018年のICGN年次総会は、コーポレート・ガバナンスの会議としては珍しくイタリア、ミラノで開かれた。そのとき訪れたミラノ大聖堂(Duomo)が、イタリアの新型コロナウイルス感染拡大のニュースで何度も映し出され、その度にああミラノはどうなっているのかと思う。
このICGNの会議で、次の年に急逝した元ICGN会長のPeter Montagnonが、「倫理とシステミック・リスク委員会」の議長として、システミック・リスク一覧表を示していた。その中に疫病(Epidemics)も確かに並んでいた。

この頃、やたらシステミック・リスクがESG投資業界に広まっていた。あちこちで「システミック・リスク」が聞こえてくる。
これには、金融人として、かなり違和感を覚えた。なぜなら

システミック・リスクとは、個別の金融機関の支払不能等や、特定の市場または決済システム等の機能不全が、他の金融機関、他の市場、または金融システム全体に波及するリスクのことをいいます ー日本銀行

だからだ。

ESGのコンテクストでシステミック・リスクが出てきたのは、おそらく、気候変動が、ESGイシューの1つからシステミック・リスクに格上げになったから、というのが筆者の解釈である。

そうしたのは、TCFDだ。
TCFDは、金融安定理事会が設置し、一般企業に気候関連リスクの財務開示を求めているが、なぜその財務開示が必要かといえば、それは最終的に、銀行が自らの融資ポートフォリオの「気候リスク」を管理するためで、バーゼル規制下、銀行のリスク管理のリスクメニューに「気候リスク」を入れるためだ。「気候リスク」は金融システム全体に波及するシステミック・リスクだからだ。

さらに「資本市場全体に影響を及ぼすシステミック・リスク」は、ESG投資業界のユニーバサルオーナーシップ議論やパッシブ運用のエンゲージメントなどと相性がいい。企業価値への影響(マテリアリティ)を確認しなくても、長期投資やパッシブ運用を前提にすれば共同エンゲージメントの大義になる。

このため、気候変動だけでなくシステミック・リスクは拡大する。
先に出したICGNの倫理とシステミック・リスク委員会の一覧表の、環境のカテゴリーには
気候変動、低炭素経済移行、公害(プラスチック)、化石燃料、森林伐採、遺伝子組み換え食品、砂漠化、水不足、疫病
が並んでいたので、ちょっと待った、これ全部がシステミック・リスクなの?と言いたくなってしまったのだった。

ん、ちょっと待った、そうこのリストの最後に疫病(Epidemics)があったのだ。
しかも「環境」カテゴリーに。
これが、唯一、ESGイシューリストに疫病(Epidemics)をみた記憶だ。

今起きている新型コロナウイルスのPandemic(世界的なEpidemic)は、感染拡大そのものがシステミック・リスクのようだし、経済を一時停止(人為的にやっているのだが)させ、株価急落、景気後退の入り口かもしれないと資本市場全体に影響するシステミック・リスクそのもののようだ。

Pandemicというシステミック・リスクについて考えていたESG投資家はいたかもしれないが、少なくともウォッチャーの目にはとまったのは、Peterの荒っぽいシステミック・リスク一覧表だけだ。もっとも、めったに起きないが起きたらインパクトが振り切れるリスクはの対処は、放置するか、保険を買うというものだ。Readiness(備え)として何ができたのか、という問題もあるかもしれない。

気候変動関連のメモ(2020年1月)

ブログを更新できない間に第2次気候変動ブーム(勝手なネーミングだけど)が到来したようだ。
日本のメディアを追っかけても何かモヤモヤとよくわからない感は強いと思うので、ワイドーショーコメンテーターのような解説を少ししておこうと思う。

スウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥーンベリってなんで突然有名になったの?
気候変動業界の拠り所となっているパリ合意は、いよいよ2020年から約束期間がスタートする予定だが、肝心のパリ合意6条の実施要項が決まっていない。6条とは京都メカニズムのような、直接CO2削減ではない、つまり「実質」ゼロの「実質」部分のカウント方法を指す。いつも正しい欧州諸国は直接CO2排出をきっちり削減していく王道を主張しており、6条のいわゆる柔軟措置、森林で吸収とか炭素クレジット貯金とか、向こうの国で減らした分もカウントするとか、そういうことには後ろ向きである。一方、パリ合意から削減に組み入れられた新興国や途上国、化石燃料周りで食っている資源国にとっては、間接的な削減に関心がある。まあどこの国も自国にフェイバーなルールブックを志向するのは当然のことだ。

さらに、パリ合意ではできれば1.5℃を目指すと書かれていたが、どうやら最近、2100年時点の平均気温上昇という最終目標は2℃から1.5℃へとハードルがあがったようで、1.5℃ディフェクトスタンダード化がすすんでいる。そうなると現状の各国の2030年目標じゃ全然足りな〜いということで、目標引き上げ要請も出さないといけない。今でもNDC(各国の自主目標)全部達成しても全体目標の2050年のピークアウトもおぼつかないらしい(まあ理由は明白ではあるが→世界の温室効果ガス排出国別円グラフを眺めてみよう)

というわけで、国連としては、2020年まで最後のCOPである、2019年のCOP25でなんとしても成果を出したい。そこで、COP25開催直前にNYで気候変動行動サミットを開いた。国連は過去にも2007年、2014年と要所に気候変動サミットを開催しているが、今回は「行動(アクション)」の文字を入れて、COP25の合意に強い期待を示した。

この盛り上げイベントである気候変動行動サミットの目玉として登場し、大いに気合をいれてくれたのが若き気候変動アクティビストのグレタだ。他にも気候変動アクティビストは多くいるが、グレタが素晴らしいのはピュアなTrue Believerであるところだ。16歳の少女は、真剣に自分達が生きる時代の温暖化Turmoilを恐れている。ミレニアル世代は、サステナビリティに関心が高く、クライアントとしてESG投資のキードライバーであると考えられている。国連はミレニアルどころかもっと若いゼット世代に気候変動アクティビズムの担い手として着目したようだ。ティーンエイジャーのアクティビズムについては、演出したオトナがいるだろうとか、まあいろいろ批判はあるだろうけど、グレタのインパクトは国連も驚くほどだったんじゃないかな。大成功。日本でも折しも台風や災害も多くみんな温暖化の影響ではないかと、ヒシヒシ感じていたときだったから、気候変動の切迫感がスンナリ受け入れられたのかもしれない。(第1次気候変動ブームの2007年も結構暑い夏だったよね)

ちょっと注意しておくべき点は、子ども(マイナー)の主張は、大人のそれとは違うということだ。子どもの人権とは、健やかに生きる権利で大人にそれを求めることができる。She has a right to ask to make her feel better.なんたって子どもは護られなければならない。このあたりは、民主主義では基本了解済事項なので、これを踏まえて大人は発言した方がいい。グレタが「ちゃんとやってよ」と大人にいうのは、子どもの人権上しごく当然なことなわけで、そもそも最初からグレタ批判に勝ち目はない。なので、この点からすると、トランプ大統領の茶化しより、進次郎大臣の「大人を批判してもはじまらない」コメントの方が痛いと思う。

COP25の結果に国連総長はがっかり
大人気のグレタはヨットでCOP25にも駆けつけ、睨みをきかせたし、環境大臣が人気の高い小泉進次郎氏ということもあって日本のメディアもかつてないほどCOPのカバーをした。メディアが、いつもの通りちょっと残念なのは、COP25(UNFCCCという条約下の第25回締約国会議)という正式な国際会議と、その開催期間中に合わせて様々な団体が開くサイドイベントが区別されていないことだ。前者は気候変動政策が決まる国際政治の場であり、後者は気候変動アドボカシーである。

COP25の一番の目標は、2020年から実施されるパリ合意のルールブックの合意だ。何やら、進次郎環境大臣が石炭火力発電からの撤退を表明することが期待されており、それを表明しなかったことや、それに関してサイドイベントで「化石賞」が贈られたことが、日本ではやたら報道されていたが、そこじゃないんだよな。

テレビ朝日の報道ステーションのコメンテーターが、「進次郎大臣は、ここはがんばって、石炭火力撤退についてもっと踏み込んだ発言をすべきだった」といっていたが、そもそも、日本の温暖化政策やエネルギーミックスは閣議決定されている安倍内閣の政策なので、条約下の国際会議の場で日本政府をrepresentしている環境大臣が、勝手に踏み込んで政策変更を約束するのは違うだろう。それより、この石炭火力をベース電源とするエネルギー計画の妥当性、日本のNDC(自主削減目標)との整合性について、日本のおかれている状況も踏まえて語ってもよかったんじゃないかしら。説明できれば素晴らしいと思うし、進次郎大臣の脱石炭の個人的見解を強調するよりもベターではないかと。

2030年時点のベース電源に石炭火力を据えているくらいだから、日本は「化石賞」の常連だ。進次郎大臣が原因ではないよ。これはサイドイベントでNPO/NGOがやっている気候変動アドボカシーだから、フォーマルなCOP25の話し合いとは関係ないことなのね。先進国では日本とドイツが石炭火力の比率が高い。経済成長が著しいアジア諸国、それに中国も石炭発電比率を下げようと頑張っているが、それでも石炭がベース電源であることに変わりはない。昨年のCOP24はポーランドのカトヴィツェで開催されたが、ここは石炭の街で、石炭採掘企業がスポンサーになっていた。気候変動アドボカシーでは脱石炭が脱化石燃料のプロキシとして支持されているけど、パリ合意に脱石炭というのはない。

肝心のCOP25は、グレタさんの眼差しも怖かったのか、2日間延長して、なんとか合意を目指したが、合意には至らず、結局、会議ステートメントを出して終了した。この状況をCNNなど海外メディアはCompromisedと表現した。これは婉曲的に「失敗」という意味なんだけど、進次郎大臣は、「日本が(僕が)個別交渉でリーダーシップを発揮し、議長国のチリから感謝された」と胸を張っていた。うーん、失敗にリーダーシップを発揮されてもなあ。英語にしたら痛い感がすぐにわかるんだけど。この状況に、グレーテス国連事務総長は「がっかりだ」と失望を隠さなかった。

とはいえ、2020年はスタートした。COPの残された課題は
①「パリ合意6条(炭素吸収や炭素クレジットの枠組)の実施要項
②1.5℃対応でNDC見直し
③Green Climate Fund(途上国支援資金)

③はパリ合意の根幹のうちの1つだけど、日本で報じられることはほとんどない。途上国は当然これに最も興味がある。Green Climate Fundの一番の資金提供予定者だった米国は正式に脱退を表明し、手続きに入ると宣言した。ちなみに、2021年3月新大統領の就任の翌日が脱退日となっている。なので、万が一トランプ大統領が再選されなかった場合は、急遽脱退取り止めとなる可能性も残されている。

次回は、機関投資家はどう動いているのか、について

密林炎上

通販大手のアマゾンではなく、地球最大の密林アマゾンで森火事が多発しているニュースがメディアを賑わしている。
えーっと、火災ってことは森林破壊か、その場合はESGのどの項目だったっけとか、SDGsだと何番だっけチェック、ウチには関係なさそうだな、などとアタマを巡らした人は、典型的には日本企業のESGかCSRの担当者だろう
機関投資家も、アマゾン関連のイニシアチブはどこかな、とググったり、早速PRIが用意した”Institutional Investor Statement on Amazon forest fires”に、とりあえず手をあげておくか、というのは、極めてサラリーマン的な対応で、スチュワードシップ的でない。

んじゃ、コアのESG投資家は、どーなのよ、といえば、
「やっとニュースになって、世間の知るところとなったのはよかった」などと、つぶやいているかもしれない。あるいは、「なにを今更」とシニカルになっているかもしれない。
気候変動や環境保護、つまりサステナビリティの専門家であれば、アマゾンのことを考えない者はいない。現在の気候変動の国際的な枠組は1992年のリオデジャネイロで開催された地球サミットを起点としており、20年後の2012年にもSustainable Developmentに関する会議、リオ+20が再び開催されSustainable Development、持続的開発なるものを確認している。ということでアマゾンを擁するブラジルこそ気候変動とSustainable Developmentの聖地なのだ。(SDGsを語るときにはこれくらい知ってないと。2015年に突然できたわけじゃないのよ、SDには長い歴史があるのだよ)

アマゾンの問題は、”Sustainable Development”が本質的に可能なのかを突きつけているという気がする。Sustainable Developmentとは、環境保護(あるいは温暖化防止)と経済成長を両立させるということだ。しかし、アマゾンの現状は環境と経済がトレードオフになっているように思える。トレードオフの関係しか成り立たないのであれば、温暖化防止は誰かの経済成長(生活水準の向上)を犠牲にしなければ成り立たないということになって、Sustainable Developmentは達成できない、これは大変不都合だ。

浅薄な議論は多くみかけるが、上記の不都合に対する議論は、英語でいうとcomplicatedで難しい。アカデミックでいうと学際的(Interdisciplinary)なアプローチだろうし、経済学でいえばトリプルボトムラインをDSGMで解くみたいな感じ。まあ、一般均衡でなくても、経営学的アプローチでCSV的なSustainable Developmentのビジネス・ケースを示すことでも、慰めにはなるかもしれない。残念ながら、この問題を議論するには、筆者の情報収集能力も理解する知力も高くないので、当ブログのキャッチ、クール(明快)に説明することはあきらめて、ここでは、密林炎上と企業や機関投資家の関わりについて筆者が知っていることとその議論に対する評価を書き留めておく。

マクロン大統領は、
アマゾンの熱帯雨林はパリ合意を脅かす国際問題だとして、G7の議題にすべきだとしている。アマゾンの密林は地球上酸素の2割を光合成で放出しているらしい。地球の肺を燃やしてはけない。なるほど。パリ合意のガーディアンだしこれくらいは。今月パリであったPRIの年次総会にもビデオで出演して、アマゾン火災にも対応すると力を込めていた。

これに対して、ブラジルのトランプともいわれる、ボルソナロ大統領は、マクロン大統領の支援申出も政治的なものだと断った。ブラジルの国土のことをブラジルが入っていない先進国リーグのG7で話し合うって、植民地時代の発想だろ。なるほど。考えてもみろアマゾンは欧州全域より大きいんだぞ。火災の対応といっても、裏山とはわけが違う。物理的に可能かどうか。街中の教会の火事の消火もできないくせに。
なんか上手いなあ、雄弁。とはいえ、国際的な批判に配慮してか、一応ブラジル軍も出動させた。しかし、大統領も言っているように、対処するにはアマゾンは大きすぎる。自然鎮火を待つしかないのが現状のようだ。まあ、これ以上周辺農家に火付けをやらせないようにするのは効果がありそうだけど。

PRIの緊急ステートメントは、
機関投資家は投資先企業に対してサプライチェーンに森林伐採が紛れ込んでないかしっかりチェックするよう求める、というものだ。ま、簡単だな。森林伐採反対。森林伐採はいけません、やめましょう。

という風にいかないのは、アマゾンで火をつけているのは地場の農民で、その多くは生産性もあまり高くなく貧しいからだ。いけませんって言ったって、向こうは食うために必死なんだし、やり得とあらば火を付ける。アマゾンの価値の多くは経済外部性があるので、フリーライダーを生む。まあ、不買運動のごとく、森林伐採している企業からソーシングするな〜とかそんな農家から仕入れているブラジルの食品会社はけしからん、ということで、北風政策で向かっても、あまり効果はなさそうだし、各社サプライチェーンを清く正しく美しくしても、アマゾン周辺の農家の状況は酷いままだし、彼らはそもそもサプライチェーンに乗っていない。

気候変動に対応するための土地利用(議論?)
をを考えていかなければならない。森林を伐採して、(メタンガスのゲップをしまくる)牛の放牧や(バイオマスとして薄すぎる)ダイス畑にするなんて、サステナビリティに逆行すること甚だしい。パリのPRI年次総会でも、「牛やダイズにさようなら」メッセージを見かけた。英国に、牛畜産はサステナビリティに反するとして、食堂からビーフメニューをやめた大学がある。

しかし、英国の食卓からステーキを除いたら何が残るというのだろう。(フレンチなら問題なさそうだけど)ダイズでいえば、ブラジルのダイズ生産は2000年代に増え、今では米国を抜いているのだ(OMG)。不毛の地だったセラード(アマゾンにある酸性土の灌木草原地帯)でダイズを生産が拡大したことからだ。このブラジルの奇跡に一役買ったのは、なんといっても圧倒的なダイズ食文化を持つ日本だ(JICAでググってみるべし)。そして、ブラジルのダイズに頼っているのは食糧輸入大国となった中国だ。牛も飼うなダイズも作るなと簡単に言ってはいけない。

上でも書いたが、SDGs
SD、Sustainable Developmentには、開発と森林保護をトレードオフにしないという意味がこめられている。
耕作地や放牧地拡大のために実際に火を付けて回っていると考えられているアマゾン周辺の農家は、あまり生産性が高いとは言い難いレベルで、だから地面を広げてなんとかしようという風になってアマゾンの密林に侵食していくわけで、この人達の農業の生産性を上げることが、森林伐採をカーブ(緩やかにする)することにつながる。あるいは、森林保護に何らかの経済的なリワードがあるといったやり方で、住民の生活と森林保護を両立を考えていくのがSustainable Developmentなのである。(CSVの出番だよ)

開発論の分野では、住民の暮らし向きと自然保護の両立がテーマとなっている。日本の「里山」なんかも共生モデルとして注目されたこともある。ハードコアでいえば、我が母校が生んだ女性初のノーベル経済学賞を受賞したエレノア・オストロム先生は、共有資源(公共財)は、コミュニティが自主管理するとき最も効率的になることを、ゲーム理論で示した・・・らしい。しかし、アマゾンは里山モデルやオストロム先生のモデルを適用するには、やや巨大すぎるかもしれない。なんといってもブラジルの国土の半分を占め、欧州全域より大きいのだ。ただ、オストロム先生の業績は、Sustainable Developmentの可能性を示してくれたことだ。希望はある。ナロウかもしれないが道はあるということだ。プライシングできれば、アマゾン保護の機会費用をパリ合意諸国で負担するという方法がありそうだが、(罰則なし自主目標の)パリ合意より難しそうな気がする。

アマゾンの密林破壊
既にかなり深刻な状況のようだ。これは昨年のサンフランシスコのPRI年次総会であったセッションにブラジルのアマゾン研究の大学の先生が、17%が失われており、25%に達すると、ティッピング・ポイントを越え、生態系サイクルや気象などが変化してしまう可能性があるといっていた。ここでは、やはり森林が、フラットな牧草地や耕作地になることで、乾燥しやすくなり、温暖化に拍車がかかる、みたいな議論で、放牧やダイズ畑への開発を懸念していた。もちろん生態系も変化するだろう。アマゾンには古来の生活を守っている自給自足の森の住民もいる。彼らの生活にも影響が出そうだ。

過去の密林破壊ケース
トヨタへのエンゲージメントに初めて成功したというボストンコモンAMの当時のエンゲージメントのテーマは、ブラジル産銑鉄由来の鋼材の使用についてだった。今もそうかもしれないが、ブラジルの銑鉄(Pig Iron)生産は、木炭を使っており、この木炭はアマゾンの違法伐採と児童労働を含む奴隷的労働で生産されていた。銑鉄は鋼板となり、自動車のボディになっている。そこから、大手自動車メーカーに、サプライチェーンの社会問題として、ブラジルの銑鉄の問題を指摘したのである。古いガーディアンの記事によればGMやFord、BMW、日産などの名前も、ブラジルのこの不快で酷い木炭生産に関係があるオートメーカーとして指摘されている。サプライチェーンの責任を企業に求めた、初期のエンゲージメントケースだ。このとき既にアマゾンの違法伐採が問題になっていた。

米国ブッシュ政権時代、2006年からガソリンへのバイオエタノール添加が義務付けられたことから、エタノールの原材料としてトウモロコシが急騰した。それまで、穀物相場など商品相場は一貫して低下してきていた。中西部にバイオエタノール工場がバンバン建ち疲弊した中西部の農家(フィールドオブドリームスに詳しい)がピカピカに大変身した事件があった。このときの原材料として中西部のトウモロコシに対して価格競争力(たぶん炭素負荷効率でも)があるとされたのがブラジル産のサトウキビだった。ブラジルでサトウキビは最も少ない日数で育ち、生産効率が良いため、ブラジルから輸入しても採算が取れるとされた。アマゾンの森林がどんどんサトウキビ畑に変身したと言われれている。