PRI in Person レポート(3)気候変動のCurrent Status

PRI in Person ではガバナンスはほとんど取り上げられない。
理由は色々と考えられるが、元々E&SとGは別々のグループだ。MSCIやFTSEのESGスコアに従来Gの要素は入ってなかった。MSCIの現在のG要素はGMIというG専門だった調査会社を買収したものだ。話が長くなるので、まあということで、PRIではサステナビリティ、すなわちE&S方面が主なアジェンダになる。

サステナビリティ(E&S)の課題は何かというと、マクロイシュー的にはつまり国際社会の問題としてはSDGsに纏まっている。SDGsは虹色のロゴが示すように総花的で重複あり深刻度がバラバラといった感じだけど、人類としてあるいは人間社会のベターワールドのあらゆるperspectivesを示している。

しかし、SDGsは最近突然出てきたものではない。国連としてはミレニアム計画の後継であり、Sustainable Developmentとは、1992年のリオ地球サミットで宣言した世界が目指すところである、「環境保全条件つき経済成長」を意味しており、環境保全とは大まかにいうと「温暖化をくい止める」ということだ。したがって、サステナビリティとかSDGsとか言い方を変えても、本質的に、「温暖化をくい止めながら世界経済を成長させる」(逆に言えば「温暖化対策でも経済成長はする」、「ママでも金!」とも言える)という世界各国が地球サミットで確認してきた政治目標に集約できる。

経済成長と「温暖化をくい止め」の二兎を追うことは、国際条約で合意されているのだ。気候変動枠組み条約というやつだ。しかし、この条約はフレームワークだけなので、実際にどうやるかについては毎年締結国会議(COP)を開いている。温暖化していることは間違いないと合意はできている。たぶん人類の産業革命以降の二酸化炭素の排出で待機中の二酸化炭素濃度があがり、その保温効果が原因だということもなんとか合意している(証明はできないが、推測はできている。)であれば、二酸化炭素の排出をやめれば温暖化も止まる、だろう。

京都議定書は、先進国に二酸化炭素排出削減を割り当てたが、当時圧倒的1位で排出している米国が参加していなかった。途上国から言わせれば、今の温暖化は先に産業化して化石燃料を燃やしまくった先進国の責任である。だから、途上国は経済成長を目指し、二酸化炭素排出削減は先進国の仕事だった。途上国の削減はCDM (Clean Development Mechanism)で先進国が支援する。欧州には排出権取引市場ができたが、金融危機が勃発し、金融市場が麻痺して実体経済も大不況となったため、グリーンどころではなくなった。京都議定書は引き継がれることもなく放置され、法的な後ろ盾を失った欧州の排出権取引は事実上崩壊、価格は暴落した。当時のクリーンエネルギーやクリーンテックなどのファンドもまた急激な時価の低下に見舞われた。セルサイドの気候変動チームは解散し、しばらくCOP会議もポスト京都議定書について何の成果もあげられなかった。

今年は金融危機10周年ということだが、金融危機後の量的緩和や異次元緩和なども経て世界経済は持ち直し、再び気候変動に取り組む機運が高まってきた。ということで京都議定書から18年ぶりに、世界はパリ協定で合意した。この間に BRICsがエマージしてきたりして、世界の様相は大分変わったので、今回は二種類の責任はなくなり、すべての国が二酸化炭素削減に取り組むことになった。最近抜けるといいつつ、抜ける気がなさそうな米国も参加し、パリ協定はかつてない全世界が参加する協定となった。

パリ協定は、世界の大気の平均気温(と海面の温度)の上昇を食い止めるということで合意し、そのグローバルKPIは平均気温の上昇を産業革命以来で摂氏2度未満、できるだけ1.5度までにするというものだ。この目標は、以前の温暖化シミュレーションにおいて二酸化炭素排出削減の努力を継続したとして、2100年時点での温暖化の中央値が2度で、いくらかの確率で4~6度にもなるという結果と、温暖化の影響の推察のところで、温暖化していくもなんとか2度くらい納めれば、現況の生活を大きく変えることなく経済成長パスが描けそうだ、というストーリーに基づいて出てきたのではないかと思う。とはいえ、少なくとも先進国は排出ゼロの達成は当然で、1.5度の場合はもっと強烈で、もっと勢いよくゼロ排出にする他、現行の二酸化炭素を吸収して大気中濃度を下げるくらいのことをやらないと達成できそうにない。

肝心の二酸化炭素排出の削減は、各国でそれぞれ目標を決めてボランタリー努力するという日本が提案したボトムアップ方式で、各国の目標であるNDC (Nationally Determined Contribution)を足し合わせても、マクロ目標達成の保証はない。NDCに強制力はなく、未達でも罰則はない。さらに、業界や企業単位まで落とし込むとなると、果たして、ミクロのボランタリーな努力の積み上げで目標が達成できるのか?というように、ツッコミどころ満載な感じなのだ。(経済学では合成の誤謬で知られる問題だ。)

本題(投資家)に入っていないのに長くなってしまった。
ということで、みんなで合意した目標は野心的(aspirational)に高いものだが、方法論は緩く達成困難な感じが漂っている、というのが気候変動のパブリックポリシーの現況といえよう。

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