思い返せば、2013年に安倍内閣がアベノミクスとして打ち立てた成長戦略「日本再興戦略−Japan is Back」の91ページ目に、「スチュワードシップ・コードを年内に策定する」とちらっと書いてあったのが、ガバナンス改革のはじまりだった。英国のスチュワードシップ・コードをコピペした日本版スチュワードシップ・コードに、公的年金や生損保までがよってたかって署名した。その後、生保が政策保有株を処分したという話はきかないが。
12月25日に日本政府は「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」を公表した。経産省が他の省庁と連携して策定したものだ。さすがは経産省、ページ数こそ77ページとアベノミクス再興戦略からするとやや少なめだが、菅首相が所信表明で2050ネットゼロを宣言してから2ヶ月後には、2050ネットゼロにむけた工程表をまとめあげた。横断的政策ツールという部分は割りとあっさりしているが、14あるという重点分野におけるタイムラインに沿った詳細な「実行計画」が掲げられている。
ESG投資業界に関連しそうなところといえば、アベノミクス日本再興戦略 Japan is Back! のときは、たった1ページのそれも数行のみだったが、今回は全ページ関係する。しかも、全てが気候変動なのだ。ESG投資の資金を呼び込むとまで書いてある。ただし、この部分はあまりにもawkward(気まずい)だ。
ESGやSDGsには飛びついても、日本企業も日本の機関投資家も、気候変動に意図的に無関心なのは徹底している。例えば、社長自らがESG経営を叫ぶ花王の「ESG経営戦略」に、気候変動への対応や脱炭素は一言も出てこない(昨年時点。)クローズアップ現代でパーム油の問題を取り上げたときもパーム油の原料であるアブラヤシのプランテーションの労働者の人権問題としていた。グローバルでは、プランテーション開発のための熱帯雨林の森林伐採(Deforestation)が中心問題となっており、それはすなわち地球温暖化を悪化させる気候変動問題と捉えられている。ESG投資入門セミナーでは、いつも「ESG問題のサステナビリティ(E&S)部分の8割は気候変動問題だと思ってもらっていい」とお経のように唱えているが、ようやく日本でもグローバルと平仄があうことになるという期待が高まる。菅首相もグローバルから遅れをとってはいけないという理由で2050ネットゼロ宣言に踏み切ったようだから、ようやく気候変動が日本でもメインテーマになる。
そもそも「戦略」になっていなかった
経産省が他の省庁と連携して策定したとする今回のグリーン成長戦略だが、いつもの日本政府(官僚)のお仕事の作品という感じがする。経産省をメインとして、農林水産省や国土交通省などが所管分野のグリーンつまり脱炭素に関連する産業政策の青写真を持ち寄った総花感が強い。結局のところ、アベノミクスでも、3.11復興でも、女性活躍でも、グリーンでも、お題が変わっただけで、各省庁から所管分野への応援政策の数々を「取りまとめた」ものが作られる。
ところで、話は逸れてしまうが、お役所のパワポスライドはどうしてかのようにナイーブなのか不思議に思っている。フォントはゴシック系のカジュアルなものが好まれるようで、強調したいときは大きくしたり太字にしたり、赤字にしたり、下線ときに波線など、どれを選ぶかは作者の自由のようだ。印刷可能範囲を超えてめちゃくちゃ書き込んであり、角を落とした四角枠で所狭しと括ってあって、吹き出しも多様されている。お役所文章は平仄の塊だと認識しているのだが、パワポになると途端にフォーマル感を放棄してしまうのはなぜだろう。
話を元に戻すと、「取りまとめた」グリーン成長戦略には、「戦略」、つまりグランドデザインがない。2050年までに脱炭素という目標に対して、達成のための方針が示されていない。日本経済全体で炭素の収支を考え、脱炭素で最適化するというマクロ経済の話が示されていないのだ。
14の重点分野、グリーン成長つまり都合よく脱炭素で成長できそうな分野で、「高い目標を設定し、あらゆる政策を総動員」するという、北朝鮮、いや日本政府が大好きな「総動員」フレーズをみると、またかと思ってしまう。経済学では合成の誤謬はよく知られている。また、経済学の前提である資源の希少性も、総動員政策は考慮していない。つまり、希少な資源の優先順位もつけず、省庁の所管分野で産業政策や補助金行政を展開しても、その積み上げで、脱炭素成長が実現するとは思えない。
2050ネットゼロ目標とは
大気中平均気温の安定化あるいは大気中二酸化炭素濃度の400ppm近辺での安定化を目指すパリ合意に一致する。地球全体で産業革命以降(1900年)から今までの二酸化炭素の全排出量が推計され、この累計排出量で大気中CO2濃度上昇は説明でき、濃度上昇は平均気温の0.8℃程度の上昇をもたらしたと考えられている。2050ネットゼロが達成された場合、今までの累計排出量に、今から2050年までの総排出量を足した1900年から2050年までの人類CO2総排出量が決まり、以降ゼロ排出なので、大気中CO2濃度は2050年以降は安定化する。この安定化した大気中CO2濃度によって、1900年からの上昇分が平均気温の1.5℃〜2℃の上昇をもたらすが、2050年以降はそこで安定化する。気候変動の専門家の方からは、いろいろご批判はあると思うが、以上がとてもざっくり2050ネットゼロ目標の解説だ。
産業革命以降のCO2排出は、化石燃料の燃焼エネルギーを動力や電力に変換して利用していることから生じる。したがって、燃焼以外のエネルギーを変換して利用できれば、脱炭素は可能だろう。良いニュースとしては、エネルギー自体は地球上にふんだんに存在するし、変換することもできるらしい。お天道様とか重力とか尽きることのないエネルギー供給があるから。一方で、化石燃料エネルギーによる発電や内燃機による移動は、石油本位主義とか石油資本主義と呼ばれてきたくらい、現在の経済活動の根幹である。化石燃料エネルギーの利用をやめられない場合は、脱炭素には、排出CO2を回収貯留することになる。したがって、2050年時点のエネルギーミックスの到達点を決めることが、脱炭素のためのグランドデザインに欠かせない。化石燃料を完全に卒業する計画ならば、化石燃料以外から、電力、動力を得なければならないし、化石燃料を直接燃焼させる製造工程も放棄しないといけない。化石燃料を燃やす場合は、完全な回収貯留が2050年に実現していなければならない。逆に回収貯留できるのであれば、化石燃料を燃やす余地はあるということになる。
2050年のエネルギーミックス
2050年時点の目標そこへの到達経路、つまりAs is (現状)とTo be(目標)、経路が描かれていれば、おのずと必要な技術が見え、企業はどこにR&Dを向けていくべきなのかがはっきりする。そして、日本の脱炭素技術が、グローバルの脱炭素を進展させるとき日本の競争優位つまりグリーン成長が可能になると考える。
しかし、「脱炭素にはオール電化」などと意味不明なことがグリーン成長戦略に書いてある。EVのために電力消費が増加するとあるが、増やしてどうする。部門別に脱炭素を考えていくべきであって、電力の脱炭素が最優先になるのは、37%を占めており、化石燃料に依存して脱炭素が困難だからだ。電力のエネルギー源に化石燃料を残すならば、効率のよい内燃機(エンジン)で燃焼させた方が、化石燃料由来の電力でモーターを動かすよりよっぽど効率的で、回収貯留するCO2も少なくてすむはずだ。それは水素にもいえることで、水素自体が他のエネルギーを利用して作成されるため、水素はエネルギーの運び屋として使えるにすぎない。しかも、水素は常態では安定しないので、かなり手間のかかる運び屋だ。運ばせるだけにあれやこれやとエネルギーを必要とする。化石燃料が残る場合も、完全にクリーンエネルギー計画の場合も、その電力や動力を直接使った方が、水素を介するより効率的だ。ということで、2050年時点のエネルギーミックスが電化をすすめて電力使用量を増加させる、つまりエネルギー不効率にするというのはありえないと思うのだ。
脱炭素のキーテクノロジー
グリーン成長戦略は、経済ボロボロにしてでも、なにがなんでも脱炭素ではなく、グリーンで経済成長という新しい考え方とされている。しかし、1991年のリオの地球サミット以来、Sustainable Development(持続的な開発)は、一貫して温暖化防止と経済成長を両立させることを目論んでいる。グリーン成長は、両者がトレードオフではなく、両立するむしろwin-winの関係になると主張する。そこで、グリーン成長に鍵となる日本企業に期待できるテクノロジーを重点分野から考えてみた。
パリ合意の総排出量コントロールの話でいけば、実際にグローバルで2050ネットゼロが実現したとしても、2021年から2049年までの排出量でいわゆるカーボンバジェットをオーバーしてしまうようなのだ。つまり1.5℃〜2℃以上に温暖化してしまう。2℃〜3℃くらいはいってしまう。つまり、2050年以降ネットマイナスにして、累計総排出量を下げないといけない。大気中からCO2をネットで回収しないといけないなどと予想されていることからして、回収貯留技術(CCS)は必要不可欠になると考えられる。
再生可能エネルギーで50%〜60%賄うとあるが、再生可能エネルギーの利用には蓄電技術が必要だ。再エネの蓄電とは別に、EVの電池も課題だ。テスラはリチウム電池のみでやってくつもりみたいだけど、都市部でのEVの普及には、次世代電池が必要なんではと思う。それに、電気トラックは今のリチウム電池では無理だ。
脱炭素には避けて通れない原発だけど、国内の嫌原発に配慮して、うやむやな記載になっている。この際、炎上させてでも表に出してきっちり議論すべきだと思う。もっとも、日本政府も社会もとても不得意なことだけど。原発に対する政策も、グランドデザインの議論でされるべきだ。2050年時点では、既存の原発の多くは定年を迎えており、新規に建造しない限り原発による出力は見込めない。2050年時点で原発由来の電力を期待するのであれば、新規原発製造となるがこのときは、安全性が高く見た目もごつくない小型原子炉が選択されるだろう。一方、2050年卒原発も、もちろんそれも選択肢の一つだと思う。前述したようにエネルギー自体は枯渇することがない。化石燃料依存率は高まるかもしれないが、いずれどのような形にエネルギーミックスが進化していくかは、これからどこに投資が向かうかにもよる。